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野口五郎 : ミニ英和和英辞書
野口五郎[のぐち ごろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [ご]
  1. (num) five 

野口五郎 : ウィキペディア日本語版
野口五郎[のぐち ごろう]

野口 五郎(のぐち ごろう、1956年2月23日 - )は、日本歌手俳優である。本名、佐藤 靖(さとう やすし)。
岐阜県美濃市出身。オフィス・ジー所属。身長174cm。
新御三家の一人として、1970年代の日本を代表する男性アイドルである。妻はタレント三井ゆり。子供は一女一男。実兄は作曲家佐藤寛
== 来歴 ==
岐阜県美濃市に生まれる。本来、家族会議で「直樹」と命名するつもりだったが、父親が家族に許可を得ずに「靖」という名前で出生届を出したという。
1966年10月、フジテレビの『日清ちびっこのどじまん』で荒木一郎の「今夜は踊ろう」を歌い優勝。中部日本放送の『どんぐり音楽会』に出演し、ザ・ワイルド・ワンズの「青空のある限り」を歌い1位となる。中学3年生の時、プロを目指し実母とともに上京、NPミュージック・プロモーションに所属し、堀越高等学校に進学する。
1971年5月1日、当初は演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」で15歳2か月の若さでデビュー。キャッチフレーズは「青い木の芽の、はだざわり」で売り出した〔デビュー当時のキャッチフレーズが「かわいらしい演歌のホープ」と言われていたが、これは週刊誌が勝手につけたものでレコード会社が付けたキャッチフレーズは「青い木の芽の、はだざわり」(※昭和46年6月4日発行 日刊レコード特信に博多みれんのキャッチフレーズとして記載されている。)〕、が、同曲のセールスは全く振るわなかった。しかし2曲目の「青いリンゴ」からポップス歌手に転向してスマッシュ・ヒット、若い女性ファンの人気を獲得。
1972年12月31日第23回NHK紅白歌合戦において当時としては最年少(16歳10か月)となる初出場歌手に抜擢されて、「めぐり逢う青春」を歌う。
1973年4月9日、「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。続く「君が美しすぎて」は第3位にランクされ、第24回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。西城秀樹郷ひろみと共に新御三家と呼ばれて、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。
1974年11月25日、「甘い生活」で初のオリコン週間チャートの第1位を獲得。最大のヒット曲となり、第25回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。この作品で筒美京平第16回日本レコード大賞・作曲賞を受賞。
1975年2月10日、実兄 (佐藤寛)作曲による「私鉄沿線」が有線放送をきっかけに大ヒットし、「甘い生活」から2作品連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得する。また年末の第8回日本有線大賞・グランプリ、第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞など、多くの音楽賞を受賞し第26回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。さらに第3回FNS歌謡祭(1975年上半期)では「哀しみの終るとき」で最優秀歌唱賞を受賞。『再会』で映画初主演。
1975年4月4日 - 1983年3月、日本テレビ系のバラエティー番組カックラキン大放送!!』にメイン・タレントとしてレギュラー出演、視聴者にコミカルな面をアピールして広く一般大衆の人気を獲得した。
1976年、「きらめき」が第2回日本テレビ音楽祭・グランプリ、第5回東京音楽祭・ゴールデンスター賞を受賞。「針葉樹」では第18回日本レコード大賞・歌唱賞、第7回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞し、第27回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。発売前の「むさし野詩人」で第9回日本有線大賞・有線功労賞を受賞。4月29日、日本テレビ系で単独のバラエティー番組『輝け!五郎・マペット ゲバゲバ90分!』が放送される。
1977年、「風の駅」〔1978年1月19日に放映開始されたTBS「ザ・ベストテン」の第1回放送時、獲得ポイント5436点の10位だったが、栄えある第1曲目として歌われた楽曲でもある。〕で第8回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞、第28回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。映画『季節風』で主役を演じ、同名タイトルの主題歌「季節風」を歌う。
1978年、「グッド・ラック」で第9回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第20回日本レコード大賞・金賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。
1979年、「青春の一冊」で5年連続となる第10回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞し、第30回NHK紅白歌合戦にも同曲で出場。
1980年12月31日、第31回NHK紅白歌合戦に「コーラス・ライン」で出場。
1981年12月31日、第32回NHK紅白歌合戦に「裏切り小僧」で10年連続10回目の出場を果たす。
1983年、連続ドラマ『誰かが私を愛してる』にヒロイン多岐川裕美の相手役として出演。その主題歌「19:00の街」が「グッド・ラック」以来久々の15万枚を超えるヒットとなる。第12回東京音楽祭・世界大会でフリオ・イグレシアス賞を受賞。同年末の第34回NHK紅白歌合戦にも、同曲で2年ぶり11回目のカムバック出場を果たした(野口自身2014年現在、最後の紅白出演)。
1985年4月 - 1987年9月、再び日本テレビ系のバラエティー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラー出演。
1995年、初のNHK大河ドラマ八代将軍吉宗』に徳川頼職役で出演。2006年には『功名が辻』にも出演。
1999年、刑事ドラマ『ケイゾク』に出演、早乙女仁役を演じる。
2002年NHK連続テレビ小説さくら』で、ヒロイン・さくら先生 (演:高野志穂) の赴任先となる中学校の英語担当教師を演じる。
私生活では長年独身を通していたが、2001年三井ゆり北マリアナ諸島ロタ島で挙式。なお結婚披露宴は徳光和夫が司会を務め、その模様が日本テレビにより全国に中継放送された。
2002年6月5日、2780グラムの第一子となる女児が誕生。2004年5月2日、2994グラムの第二子となる男児が誕生。
2005年、音楽プロデューサーとして音楽映像配信サイト『音コレ』 (2006年7月20日、『Gプロデュース』と改名) を立ち上げ、ものまね、インディーズ、オリジナル楽曲をプロデュース。根本はるみ網野泰寛などもプロデュースしている。NTTドコモKDDI auSoftBankの公式サイトにおいても、「音コレものまねMIX」「うれセン!」として着うたフル着うた、着モーションなどを配信。
2007年10月16日、飛騨・美濃観光大使を委嘱。
2008年9月21日、北マリアナ諸島の観光親善大使に夫妻で任命。
2010年5月1日、デビュー40周年を迎える。近年は、六本木におけるライブがゴールデンウィークの恒例になっていた。最終公演2014年5月22日。
2015年4月13日、新御三家の盟友、西城秀樹が自ら「ヒデキ還暦!」と題した満60歳の記念ライブに、野口がゲストとしてバースデーケーキを運びながら登場し、熱い抱擁を交わした〔デイリースポーツ 4月14日(火)配信 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「野口五郎」の詳細全文を読む




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