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野口 幽香(のぐち ゆか、慶応2年2月1日(1866年3月17日) - 昭和25年(1950年)1月27日、女性)は、日本の幼児教育者、社会事業家。本名は野口 ゆか。 ==略歴== *1866年(慶応2年)2月1日、播磨国姫路清水(現姫路市)に生まれる。父は姫路藩士・野口野(いやし)、弟は建築家の野口孫市。 *1890年(明治23年)、東京師範学校女子部(現・お茶の水女子大学)を卒業し、母校である女高師附属幼稚園に助教諭として着任。 *1894年(明治27年)、華族女学校付属幼稚園が設置された際、幽香が選出され華族女学校付属幼稚園に異動となった。この幼稚園の通勤途中に見ていた、道端で地面に字を書いて遊んでいる子供と、多数の付き添いに命令する付属幼稚園の園児との間に落差を感じ、貧しい子供たちにも保育をと考えるようになった。 *1900年(明治33年)1月、貧しい子供たちの為に二葉幼稚園を設立。森島美根と共に設立したこの園は、下六番町の小さな借家を利用したものだった。 *1906年(明治39年)、明治の三大貧民窟のひとつであった東京・四谷鮫河橋(現在の新宿区南元町の一部)に二葉幼稚園を移転。皇室御料地を無料で借りたもので、本格的な「貧民幼稚園」の始まりとなった。 *1910年(明治43年)、東京二葉独立教会(現在:日本基督教団東中野教会)を設立する。後に、由木康が牧師に就任する。〔羽鳥明『イエスはわがいのち』(1992年),p.47〕 *1916年(大正5年)、事業や社会制度の変化に合わせて二葉幼稚園を二葉保育園に改称。内藤新宿南町(現在の新宿の一部)に分園を設立。 *1922年(大正11年)、本園に不就学児童のための小学部、母子ホームの先駆となった母の家を設置。 *1935年(昭和10年)、徳永恕に園の一切を託し、引退。 *1950年(昭和25年)1月27日、上落合の自宅で84歳で死去。生涯独身であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野口幽香」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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