翻訳と辞書
Words near each other
・ 野口智代
・ 野口智雄
・ 野口村
・ 野口村 (兵庫県)
・ 野口村 (和歌山県)
・ 野口村 (岐阜県)
・ 野口村 (茨城県)
・ 野口正之
・ 野口正人
・ 野口正則
野口正明
・ 野口正章
・ 野口武彦
・ 野口武徳
・ 野口氏
・ 野口泉
・ 野口泰弘
・ 野口泰雪
・ 野口洋一
・ 野口洋二


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

野口正明 : ミニ英和和英辞書
野口正明[のぐち まさあき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

野口正明 : ウィキペディア日本語版
野口正明[のぐち まさあき]

野口 正明(のぐち まさあき、1925年3月7日 - 2004年3月24日)は、福岡県飯塚市出身のプロ野球選手
==来歴・人物==
飯塚商業学校卒業後、1942年名古屋軍内野手として入団。同年5月、プロ野球史上最長イニング記録の28イニングを戦った対大洋戦では、六番・一塁手として出場。翌1943年投手に転向し12勝をあげ、石丸進一西沢道夫らと共に投手陣の柱として活躍した。この頃、晩年の沢村栄治からも安打を放っている。
戦後、1949年大映スターズへ移籍。この年、札幌市円山球場で行われた対東急フライヤーズ戦で大下弘に大本塁打を打たれたが、「170mは飛んでいた」という貴重な証言をしている。
1950年西鉄クリッパース創立に伴い移籍。川崎徳次らと共に先発の柱として活躍し、1952年、23勝をあげ球団第一号となるパ・リーグ最多勝に輝いた。しかし、翌年に肩を壊して1954年に現役を引退した。
その後、三井田川、全佐世保の監督を経て、しばらくRKB毎日放送の解説を務めた。また、福岡ダイエーホークス初年度にはテレビ西日本の解説者にも就任していた(1969・70年頃にも担当。後に島田誠に交代)。福岡県那珂川町で余生を過ごしたが2004年3月24日、福岡市西区の病院で心不全のため死去、。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「野口正明」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.