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↑不動塚 モタレ→ 登越→ 南出口→ 野古墳群(のこふんぐん)は、岐阜県揖斐郡大野町にある古墳群。5世紀 - 6世紀の古墳という。 約1平方キロメートルの地域に中・小型の古墳が集中している。そのうち9基は1957年(昭和32年)、国の史跡に指定されている。 == 概要 == 濃尾平野の西北縁に所在する。周囲は、水田・柿畑になっている。 かつては27基以上の古墳があったという。古い絵図にその姿が記されており、削平された埋没古墳のいくつかが地中レーダー探査によって確認されている。 現存するのは1号から12号の12基であり、2号から6号が前方後円墳、1号と7号から12号が円墳である(1号と7号は前方後円墳の可能性が削り取られて円墳になったという説もある)。このうち1号から6号には名称がある。 #モタレ 円墳。前方部が削られたような痕跡があり、前方後円墳の説がある。1989年(平成元年)度の調査では、周壕が確認され、木器(鋤?)が出土した。 #不動塚 前方後円墳。 #南屋敷西 前方後円墳。周壕と外堤をもっている。築造年代は、出土の円筒埴輪から5世紀後半と想定された。 #登越 野古墳群最大の前方後円墳。全長83m、後円部径52m、後円部高さ7.3m、前方部長42m、前方部高さ5.8m。 #南出口 前方後円墳 #乾屋敷 前方後円墳 *城塚古墳からは、中国鏡(鍍金獣帯鏡=五島美術館所蔵)が出土している。 *7号墳(城塚古墳の培塚)は1982年(昭和57年)に主体部と周壕の確認調査が行われ、帆立貝形古墳であることが判明した。〔大野厚志「野古墳群」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』同朋舎出版 1991年 161ページ〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野古墳群」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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