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野地 竜太(のじ りゅうた、男性、1978年10月6日 - )は、日本の空手家、キックボクサー、総合格闘家。東京都世田谷区出身。TEAM GARO所属。 極真会館城西世田谷東支部でフルコンタクト空手の選手として活躍。パンクラスへと移り、総合格闘家となった。 空手家でありながらK-1・キックボクシング・総合格闘技など様々なルールに挑戦している。 == 来歴 == 1996年10月、極真会館主催の第28回全日本空手道選手権大会で黄帯ながらベテラン岩崎達也に右上段回し蹴りで一本勝ちし衝撃のデビュー、敢闘賞を獲得した。 1998年11月、極真会館主催の第30回全日本空手道選手権大会に出場し、4位入賞。本大会において、岩崎達也と再戦し、前回同様に右上段回し蹴りで一本勝ちし返り討ちを果たした。 1999年3月25日、SRS藤原紀香番組卒業特番でのスペシャルワンマッチでニコラス・ペタスと対戦し、再延長終了時点で判定勝ち。 1999年11月、極真会館主催の第7回全世界空手道選手権大会に初出場。準々決勝でグラウベ・フェイトーザに判定負け。21歳にして7位入賞を果たした。 2000年、極真空手アメリカズカップで準優勝。この大会を最後に空手の稽古からはいったん離れ、顔面技術取得のためキックボクシングの練習に主軸を置き始める。 キックボクシングの練習を始めて1か月半後の2000年11月29日、デビュー戦でDEION(新空手'98全日本重量級王者)を相手に1RKO勝利。 2001年8月10日、キックボクシングのリングで、1997年K-1ジャパングランプリ第3位の実績を持つ安部康博からダウンを奪っての判定勝ち。 2002年1月11日、「一撃」旗揚げ戦のメインイベントで武蔵と対戦、判定負け。 2002年4月21日、K-1デビューとなるK-1 BURNING 2002でアンドリュー・ペックと対戦し、お互いダウンを奪い合い、判定で引き分け。 2003年2月22日、「一撃」でユルゲン・クルトと対戦し、判定負け。 2003年7月、極真時代から怪我を抱えていた両足首の手術を行った。 その後、総合格闘技の練習も始め、2004年3月18日、パンクラスMEGATONへの入団が発表された〔野地竜太選手、パンクラスMEGATON入団記者会見 パンクラス 公式サイト 2004年3月19日〕。 2004年6月6日、第7回梶原一騎杯キックガッツ2004で菊田早苗と総合エキシビションマッチを行った。 2004年7月25日、パンクラスデビュー戦でコブス・ハイサマンと対戦。1R開始12秒右フック一撃でKO負け。11月7日、パンクラス2戦目ではベテランの柳澤龍志に勝利した。 2005年2月6日、HEAT 1stで、志村道場館長でありHEAT代表でもある志村民雄とエキシビションマッチを行なった〔HEAT 1st 試合結果 HEAT公式サイト〕。 2005年3月6日、パンクラスでセハク(当時パンクラスヘビー級ランキング1位)と対戦。膝蹴りでKO勝ち。 2005年5月1日、パンクラスでオー・ジン・チョルと対戦し、パウンドで1RKO勝ち。 2005年5月、パンクラスMEGATONがパンクラスとの業務提携を解除し脱退したことを受け、パンクラスMEGATONからパンクラスへと移籍〔[パンクラス] メガトンの独立表明に尾崎社長困惑。野地は残留 BoutReview 2005年6月23日〕。また7月10日にエルヴィス・シノシックと対戦予定であったが、練習中に右足首踵腓靱帯および後踵腓靱帯を損傷し欠場となった〔北岡&WINDY智美の相手決定。野地欠場 BoutReview 2005年6月21日〕。 2005年11月4日、パンクラスでポアイ菅沼と対戦。三角絞めで一本負け。この試合から所属を「パンクラスGARO」とした。「GARO(がろう)」という名前は夢枕獏の「餓狼伝」から付けられた(夢枕の許諾も得ている)〔野地、王座目指し気負い無く再始動 BoutReview 2005年11月1日〕。 2006年4月9日、パンクラス第2代ヘビー級(-100kg)王者決定トーナメント1回戦でプロレスリング・ノアの杉浦貴と対戦。三日月蹴りをボディーに見舞い、ガードの落ちた杉浦にハイキック、崩れ落ちた所へ踏みつけを浴びせてKO勝ち。 2006年6月6日、トーナメント準決勝でアルボーシャス・タイガーと対戦予定であったが、5月26日の練習中に右拳を亀裂骨折し全治1か月と診断され、トーナメントを棄権した〔[パンクラス] 6.6 後楽園:野地欠場。アルボーシャス×禅道会・三浦に BoutReview 2006年5月30日〕。 2006年6月14日、パンクラスを退団した〔[パンクラス] 野地を解雇。「契約を続行しがたい事由がある」と説明 BoutReview 2006年6月14日〕〔[パンクラス] 野地竜太の謝罪を受け「解雇」から「退団」扱いに BoutReview 2006年9月8日〕。 2006年10月28日、MARS 05でセルゲイ・シュメトフと対戦し、パウンドでタップアウト勝ち。 2007年3月23日、HEAT 3rdで恩田剛徳と総合格闘技ルールで対戦し、判定勝ち。 2007年8月11日、HEAT4でロイド・ヴァン・ダムとキックルールで対戦するも手数に劣り判定負け。 2007年11月25日、HEAT5でペック・アンドリューとキックルールで対戦。判定負け。 2008年3月30日、HEAT6でホ・ミンソクと総合格闘技ルールで対戦。空手仕込みの前蹴りでボディを効かせ、相手選手の戦意喪失によるTKO勝ち。 2008年4月20日、新日本キックボクシング協会主催「TITANS NEOS III」にて久々のキックボクシングのリングに立つ。序盤、相手選手の蹴りが下腹部に入るなどのアクシデントがあったが、2ラウンド、怒涛のラッシュでKO勝ち。 2009年6月4日、香港・クイーンエリザベススタジアムで開催されたPlanet Battleでラマザン・ラマザノフと対戦し、判定負け。 2009年11月10日、「DEEP&CMA大感謝祭!」のCMA KPWヘビー級チャンピオン決定戦でライアン・グッドマンと対戦し、TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。 2010年3月28日、DEEP 46 IMPACTで行なわれた「初代DEEPライトヘビー級王者決定トーナメント」の1回戦で藤井克久と対戦し、インサイドガードからのパウンド連打でTKO勝ち。なお、藤井はこの試合を持って引退を表明した。 2010年4月17日、DEEP 47 IMPACTで行なわれたトーナメント準決勝で井上俊介に判定勝ちするも、決勝で中西良行に判定を喫し王座獲得に失敗した。 2010年5月、「日本空手道 野地道場」を立ち上げ、キックボクシングジム「LAILAPS東京北星ジム」内にてキッズ空手の指導を開始。 2010年7月24日、GLADIATOR 8のCMA KPWヘビー級王座防衛戦で濱田順平と対戦し、TKO勝ちを収め王座初防衛に成功した〔【グラジエーター】“極悪”石黒竜也がキックルールでハン・スーファンをKO 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月24日〕。 2010年10月24日、DEEP 50 IMPACTで元新日本プロレスの長尾浩志と対戦し、膝蹴りでTKO勝ちを収めた〔【DEEP】死闘!菊野が帯谷を判定で退ける、青木&ミノワマン&長南は快勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月24日〕。 2011年3月6日、GLADIATOR GシリーズのCMA KPWヘビー級タイトルマッチでソン・ヘソクと対戦。 序盤はヘソクのフックの連打につかまり、右フックのクリーンヒットで腰を落とし、フラッシュダウンにあたる状態となるも、すぐに立ち上がり、首相撲からのヒザ蹴りを浴びせる。防戦一方となったヘソクは、膝蹴りによりダウン。そこからパウンド連打を浴びせ、TKO勝ちを収め王座の2度目の防衛に成功した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野地竜太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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