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若東龍 秀史 (わかとうりゅう ひでふみ、1978年7月27日-)は茨城県筑西市(旧真壁郡関城町)出身の大相撲力士。松ヶ根部屋所属。本名は野寺秀史(のでら ひでふみ)。身長177cm、体重156kg。趣味は読書。最高位は西十両3枚目(2001年五月場所)。 ==来歴== 幼い頃から相撲を始め、小学生の頃から全国大会に出場するなど活躍した。中学時代は柔道部に所属し茨城県大会でも上位に入賞するほどであったが力士志望には変わりは無かった。知人の紹介で松ヶ根部屋を紹介され、入門前から稽古を付けてもらった。中学卒業と同時に松ヶ根部屋に入門。1994年三月場所本名の野寺で初土俵。同期生には潮丸がいる。 順調に番付を上げていったが、幕下に昇進すると膝を故障し序二段まで番付を下降させた。しかし1999年一月場所に序二段優勝すると一気に幕下まで番付を戻し、2000年一月場所で幕下優勝。西幕下2枚目で迎えた翌三月場所も4勝3敗と勝ち越し、五月場所に十両に昇進した。徹底した押し相撲で期待されたが、7勝8敗と負け越し1場所で幕下に落した。 2001年一月場所に十両に復帰すると8勝7敗で、自己最高位の十両6枚目で迎えた翌三月場所も9勝6敗で勝ち越し、五月場所は入幕を狙える十両3枚目まで番付を上げた。その五月場所は5連勝でスタートするなど好調だったものの11日目から4連敗、さらに右膝の故障で千秋楽を休場する憂き目にあう。復調しかけてきた十一月場所には左膝も故障し休場を余儀なくされ幕下に陥落した。 2003年九月場所には三段目まで陥落したが7戦全勝で幕下上位まで盛り返した。その後も十両復帰を目指して相撲を取り続けていたが、遂に2006年一月場所限りで現役を引退した。同年10月から故郷の筑西市で「ちゃんこ居酒屋 若東龍Kitchen」を経営。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若東龍秀史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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