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野尻 抱影(のじり ほうえい、本名・正英(まさふさ)、1885年11月15日 - 1977年10月30日)は日本の英文学者、随筆家、天文民俗学者。早稲田大学文学部英文学科卒業。準惑星である冥王星の和訳命名者。 古今東西の星座・星名を調べ上げたことから 「和製アレン」 とでも言うべき存在でもあった。とくに、星の和名の収集研究で知られる。日本各地の科学館やプラネタリウムで行われる、星座とその伝説の解説には、野尻の著作が引用されることが多い。若くして文学に興味を持ち、小泉八雲に傾倒した。星の和名の収集を始めたのは40歳を過ぎてからであった。 「抱影」という雅号は、早稲田大学文学部在学中、文芸誌「白百合」に作品を掲載するにあたり前田林外が金剛経の一節「夢幻泡影」から考案し、岩野泡鳴、相馬御風と相談して決めたものである〔。 == 略年表 == *1885年11月 - 神奈川県横浜市に生まれた。 *1903年 - 神奈川県立第一中学校卒業。 *1906年 - 早稲田大学文学部英文学科卒業。学生時代、小泉八雲の指導を受ける。若い頃彼は、英語の怪談、幽霊、心霊に関する書籍の翻訳もし出版。生活費を稼いだ。 *1907年 - 山梨県甲府市の山梨県立甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)の英語教師となる。 *1912年 - 甲府中学校長・大島正健の息女と結婚し、機に東京都の麻布中学校に転任。 *1919年 - 民間の教科書・辞書の出版社へ転職。中学生向け学習誌の編集をする。 *1922年 - 水野葉舟とともに「日本心霊現象研究会」を創設。 *1926年 - 日本放送協会のラジオ番組『星のロマンス』さらに『星の伝説』に出演。それと前後し、「日本の民間には、星に関する伝説や名称に関し見るべきものがない。」とのその当時広まっていた定説に疑問を持ち、星の和名の収集を始める。ラジオ番組は好評でレギュラー放送となり、成果を紹介しながら、全国に伝承された和名に関する情報提供を呼びかける。この結果、和名収集のボランティア集団「肉眼星の会」の助けも借りて全国から情報が集まり、後には同じ星の呼び名の地域による連続的な変移を論じられるまでになった。収集した情報を『日本の星』および『日本星名辞典』等に集大成して出版し、晩年まで改訂を続けた。 *1930年 - 冥王星が発見される。欧米では Pluto と命名されたが、野尻の提案で和名は冥王星となる。この名は現在、中国等、東アジアで共通に使用されている。 *1932年11月 - 『レオニズ見えざりし記』(しし座流星群の流星雨予想失敗の記録)を執筆する。 *1957年4月 - 天文博物館五島プラネタリウムの開設と同時に理事と評議員および星の会(会員制)の会長を没するまで務めた。特に「星の会」では年に1度程度の講演を行い、最後の話題は1975年5月の「星に感じる畏怖」だった。科学の対象としての星ばかりでなく、「風俗と星」という切り口で興味深く自分の研究成果を発表していた。 *1977年10月30日 - 老衰により没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野尻抱影」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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