|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 野 : [の] 【名詞】 1. field ・ 崎 : [みさき] (n) cape (on coast)
野崎 欣宏(のざき よしひろ、1941年 - )は日本のアニメプロデューサー。 == 経歴 == 漫画を描くことを志望して東映動画(現・東映アニメーション)と虫プロダクションの入社試験を受け〔「ザ・業界人特別編 野崎欣宏 伸童社・代表取締役」『アニメック』1987年1月号、pp.106-107〕、1963年1月に虫プロダクションへ入社。制作進行としての入社だったが、資料室へ配属される〔皆河有伽『小説手塚学校2 ~ソロバン片手の理想家~ 日本動画興亡史』講談社、2009年、pp.26-27〕。資料室ではバンクシステムの管理を行った他〔、資料室の事実上のチーフとして皆河有伽『小説手塚学校2 ~ソロバン片手の理想家~ 日本動画興亡史』講談社、2009年、p.325〕、制作に必要な資料集めも行った〔豊田有恒『日本SFアニメ創世記 虫プロ、そしてTBS漫画ルーム』TBSブリタニカ、2000年、p.138〕。 虫プロダクションの倒産後は、西崎義展のオフィスアカデミーへ移籍し、1974年の『宇宙戦艦ヤマト』企画にも参加。同作に漫画家の松本零士を監督候補者として推薦した〔アライ=ヒロユキ『宇宙戦艦ヤマトと70年代ニッポン』社会評論社、2010年、p.73〕。 オフィスアカデミーも倒産し、サンライズのロボットアニメに関わり、1978年には少年画報社の「手塚治虫アニメ選集」をプロデュース pp.11-12 1981年に書籍『機動戦士ガンダム記録全集』を請け負うために編集者の小牧雅伸、千葉暁らとクリエイター集団、編集プロダクションとして伸童舎を設立〔小牧雅伸『アニメックの頃…』NTT出版、2009年、pp.152-153〕。ロボットアニメを中心に玩具や書籍を展開し、1987年には編集を請け負っていた『ジ・アニメ』誌上で企画したオリジナルビデオアニメ『デルパワーX』をプロデュースした〔。伸童舎を通じて多数のクリエイターを創出している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野崎欣宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|