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野方遺跡(のかたいせき)は、福岡県福岡市西区野方にある弥生時代後期・古墳時代前期の遺跡である。国の史跡に指定されている(1975年(昭和50年)6月27日指定)。 == 概要 == 早良平野の西端、脊振山地北東部の叶岳東麓にある標高17 - 22メートルの扇状地に位置する。伊都国の所在地と推定される現在の糸島市域と、奴国の所在地と推定される現在の春日市周辺との中間部に位置し、交通の要所であったと考えられている。 1973年(昭和48年)に野方台団地の造成中に高校生が発見し、同年8月から翌1974年(昭和49年)1月にかけて福岡市教育委員会による発掘調査が実施され、遺構の集中している遺跡中央部の21,130.63平方メートルが国の史跡に指定された。 遺構としては長径約100メートルの楕円形の大きな環濠、一辺約25メートルから30メートルの方形の小さな環濠、竪穴式住居跡94基、甕棺墓3基、土坑墓1基、木棺墓1基、箱式石棺墓10基などが検出されている。弥生時代には上記の大小各1か所の環濠から成る環濠集落が形成され、大きな環濠の内側には約10軒の竪穴式住居が建てられ、小さな環濠の内側には高床式倉庫が建てられていたと推定される。環濠からは土器・石器・鉄器・貝・魚骨・獣骨などが出土している。古墳時代には弥生時代の環濠は埋められ、住居と墓地を分けた集落が形成され、約100棟の竪穴式住居が建てられていたと推定される。古墳時代の墓地の箱式石棺墓・木棺墓から副葬品として中国製の獣帯鏡・内行花文鏡や鉄刀・管玉・ガラス玉などが出土している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野方遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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