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野木 光綱(のぎ みつつな)は、鎌倉時代前期の武士。出雲国に住し、叔父の隠岐守佐々木義清の猶子(或いは婿)となり、野木氏・乃木氏の祖となったとされる。 == 生涯 == 『乃木大将事跡』の乃木系図によると文治3年(1187年)出生とある。 『尊卑分脈』などの諸系図では佐々木高綱の次男とされ、『尊卑分脈』によれば「野木二郎、左衛門尉、住出雲國野木、隠岐守義清の子と爲る」とある。また佐々木系図では「能義二郎左衛門尉、出雲能義に住す」とある。また『乃木大将事跡』の系図では従五位下、野木次郎左衛門尉、壱岐守と記載される。 光綱が住した出雲国野木については、能義郡野城郷(現在の島根県安来市能義町)、意宇郡乃木邑(現在の松江市浜乃木町)の二説があるが、野木氏に関する同時代の史料は乏しく詳細は不明であり、『尊卑分脈』の記事についても実証されたものではない。 父・高綱は出雲国に恩賞地を拝領したとされる。高綱の出雲国内の所領の一部を分割相続した光綱が、父の出家や建仁3年(1203年)の長兄重綱の戦死により後ろ盾を失ったため、承久の乱後に出雲守護として入部した叔父義清の猶子として、その庇護を受けつつ、隠岐流佐々木氏の一門として所領を守ったと考えるのが自然であろう。 『乃木大将事跡』の乃木系図によれば文永9年11月25日(1272年)死去とある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野木光綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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