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野村良昌 : ミニ英和和英辞書
野村良昌[のむら よしまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [りょう]
 【名詞】 1. good 

野村良昌 : ウィキペディア日本語版
野村良昌[のむら よしまさ]
野村 良昌(のむら よしまさ、生没年不詳)は、江戸時代中期の薩摩藩鹿児島城下の武士本姓宇多源氏佐々木氏通称は勘兵衛。は良昌。家格小番。モウソウチクを薩摩藩に輸入した薩摩藩側の現場責任者。剣術示現流の師範東郷実昉の舅で、東郷実乙外祖父。藩職は物頭、町奉行を勤める。また始羅郡山田郷地頭や薩摩郡高城郷地頭を兼務する。2回琉球に渡海し、2回目の物頭時代に琉球王国在番を命じられて琉球に行くが、この時に島津吉貴よりモウソウチクの輸入を命じられ、からモウソウチク20株を輸入する。鹿児島に戻ると仙巌園にモウソウチクを献じる。
== 年譜 ==

*正徳4年(1714年):相良権大夫とともに琉球に派遣される。
*享保11年1月11日;始羅郡山田郷地頭に就任。
*元文元年(1736年):当時、物頭職を勤め、物頭として琉球在番を命じられ、琉球渡海。このときモウソウチクの輸入を命じられ、5月にモウソウチク20株を清より琉球に輸入する。
*元文3年(1738年):在番の任期切れにより帰国し、吉貴のいる仙巌園にモウソウチクを献上する。同年7月1日に町奉行及び川内高城地頭に就任する。なお、当時の町奉行の同僚に示現流高弟の薬丸兼慶がいた。
*元文5年(1740年)2月15日:役料90石をもらう。〔なお、「職掌紀原」では正徳2年以降、高150石以下の者に役料100石支給されるようになったとある。また、「薩藩政要録」では高150石以下に役料100石支給するが、新役については90石支給するとある。この事から、元文5年当時の野村家が石高150石以下であったことが分かる。なお、同じ日に同僚の薬丸兼慶も90石もらっている。〕
*延享元年(1744年)6月5日:高城地頭を辞任する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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