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野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、元監督、野球解説者。 == 経歴 == === プロ入り前 === 1966年9月19日、大分県佐伯市で生まれる。小学校の1年の時に投手として野球を始め、小学校から高等学校まで投手を務めた〔『週刊ベースボール』ベースボール・マガジン社、2004年4月26日号、P.34〕。小学校と中学校では最高学年で主将を務める。野村は後年に「投手としては、少年時代から右の本格派で、ストレート、カーブ、スライダーを武器にしていました」と当時の思い出を振り返っている〔。また、野村から見て叔父に当たる八木孝がかつて広島東洋カープに在籍していた元プロ野球選手であったことから、小学校時代から毎年のように広島のキャンプを見学していた〔読売新聞、1988年11月25日付朝刊、P.19〕。周囲からは「県や市の1番では満足するな」と言われていたため、野村は常に高い目標を持って練習していたという〔。 大分県立佐伯鶴城高等学校へ進学すると、俊足を生かすために右打ちから両打ちに転向した〔">『週刊ベースボール』ベースボール・マガジン社、2004年4月26日号、P.35〕。1年の秋からエース投手になり、それ以来は3番・投手として、同期のチームメイトである若林重喜などとクリーンアップを組んだ。また、野村は2年の秋から3年の夏までエース投手兼主将を務めるが、3年の夏の大分大会の準決勝戦で敗れ〔朝日新聞、1984年7月25日付朝刊、P.19〕、3年間とも春と夏の全国大会の出場を逃した。 駒澤大学に進学すると、当時の監督だった太田誠にセンスを見込まれて打者に転向し、外野手になる。当時は鉄拳制裁も決して珍しくない厳しい指導の一方で、1年の時は左翼手か右翼手としてプレーし、リーグ戦に起用されている〔。2年の時の春季リーグ戦からは中堅手のレギュラーになり、同年の秋季リーグで初めて中堅手としてベストナインに選ばれる〔読売新聞1986年11月5日付朝刊17面〕。3年の時の春季リーグ戦では大石大二郎が記録した17盗塁を塗り替える18盗塁のシーズン記録を達成し、2季連続でベストナインに選出された〔読売新聞1987年5月30日付朝刊14面〕。また、3年の時には日米大学野球とアジア野球選手権大会で日本代表に選ばれ、その頃からプロ入りを意識するようになった〔。秋季リーグ戦では二塁手にも挑戦したため、二塁手としてもベストナインに選ばれている〔読売新聞1987年10月30日付朝刊16面〕。 4年の春から4年の秋までは主将を務めた。4年の時には再び日米大学野球で日本代表に選ばれるだけでなく、春季リーグ戦では22年振りにリーグ通算記録を更新する52個目の盗塁を決めるなどで完全優勝の原動力となり、満票で最高殊勲選手とベストナインに選出された〔読売新聞1988年5月28日付朝刊18面〕。また、4年の時には大韓民国で開催されたソウルオリンピックで大森剛や同期の笘篠賢治と一緒に3人のみの大学生選手として野球日本代表に選ばれる〔別冊宝島、1545号、2008年、P.67〕。ちなみに笘篠とは後にプロでもチームメイトになった。このオリンピックではレギュラーに良い選手が揃っていたため、野村は主に代打で起用され、決勝戦を含む3試合で9打数、2安打の成績を残す〔別冊宝島、1545号、2008年、P.70〕。決勝戦の対アメリカ合衆国代表戦では途中出場で1安打を放つも、一打逆転の場面ではジム・アボットに抑えられた〔。 大学での通算成績は、89試合出場、325打数103安打、打率.317、10本塁打、48打点、52盗塁。他にはベストナイン4回の受賞経験がある。なお、全日本大学野球選手権大会には2度出場し、3年の時には松永幸男(九州東海大学)と対戦した。大学野球界屈指の野手という評価を得て〔『週刊ベースボール』ベースボール・マガジン社、2001年5月7日号、P.41〕、石毛宏典2世とも呼ばれ〔読売新聞、1988年11月18日付朝刊、P.19〕、1988年のドラフト会議では重複指名が予想されていた〔。結果として広島東洋カープに単独1位で指名され、まずは外野手として広島に入団し、プロ入りを果たした。広島は川崎憲次郎も1位候補として検討していたものの、スカウトマンたちの強い推薦もあって野村を指名した〔。担当スカウトマンは渡辺秀武で、契約金6000万円、年俸600万円で入団契約を結んだ〔読売新聞、1988年12月2日付朝刊、P.19〕。背番号は「7」に決まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野村謙二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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