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野村 長平(のむら ちょうへい、宝暦12年(1762年、1761年とも) - 文政4年(1821年))は、江戸時代の土佐国岸本浦(現在の高知県香南市香我美町岸本)の船乗り(水主)。船の難破による鳥島での無人島生活を経て、故郷に帰還した。無人島長平と通称された。 == 鳥島への漂流と無人島生活 == 天明5年(1785年)1月、土佐藩赤岡村(現在の高知県香南市赤岡町)から田野(現在の高知県田野町)へ300石船(松屋儀七所有)にて御蔵米を運搬した帰路に、船は土佐沖で嵐(冬の大西風、シラ)に遭遇し、舵・帆柱を失って漂船となった。漂船は室戸岬を越えて黒潮に乗ったと推定され、結果的に当時無人島であった伊豆諸島の鳥島に漂着した。 漂着時には長平以外に3名の乗組員がいたが、漂着後2年以内に相次いで死亡し、以後長平は無人島での単独生活を強いられる。鳥島での主な食物はアホウドリの肉と卵、それに少量の海産物であり、当初は火種を持たなかったためそれらを生で食した。また長平らはアホウドリの肉は乾燥して保存し、これをアホウドリの不在期間(春の巣立ちから秋の営巣まで)の主な栄養源とした。水は雨水を水源とし、これを多数のアホウドリの卵殻などに蓄えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野村長平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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