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野母商船 : ミニ英和和英辞書
野母商船[のもしょうせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 
: [しょう]
  1. (n,n-suf) quotient 
商船 : [しょうせん]
 (n) merchant ship
: [ふね]
 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship 

野母商船 : ウィキペディア日本語版
野母商船[のもしょうせん]

野母商船株式会社(のもしょうせん)は、長崎県長崎市に本社を置く海運会社。野母商船グループの中核企業である。
社名は前身の村木汽船部が長崎・大波止と西彼杵郡野母村(現在の長崎市野母崎)間の旅客航路を開設していたことに由来するが、現在は野母港への路線は保有していない。
== 沿革 ==

* 1910年明治43年)1月 - 片岡茂八が長崎交通汽船株式会社を設立し、大波止〜旭町・飽の浦間の定期旅客運航を開始
* 1910年(明治43年)12月5日 - 村木清三郎が「村木汽船部」の名称で海運事業を開始
* 1916年大正5年) - 村木汽船部、長崎〜野母間の旅客航路を開設
* 1929年昭和4年)12月20日 - 村木汽船部、株式会社化し社名を「野母商船」とする
* 1930年(昭和5年)8月 - 野母商船、博多〜上五島航路開設
* 1939年(昭和14年)5月 - 野母商船、上海新江南京揚子江航路を開設
* 1943年(昭和18年)6月 - 野母商船、マニライロイロセブダバオフィリピン航路を開設するが、太平洋戦争激化で揚子江航路と共に船舶を失い短期間で廃止
* 1945年(昭和20年)4月 - 長崎交通汽船、新興汽船に社名変更
* 1950年(昭和25年)4月 - 新興汽船、乗合バスとの競争激化により新興運輸へ社名を変更し、バス事業への参入許可を申請
* 1953年(昭和28年)3月 - 新興運輸、長崎自動車に吸収合併され長崎自動車海運部となる
* 1955年(昭和30年)4月 - 長崎自動車、海運部を分社化し長崎汽船株式会社とする
* 1961年(昭和36年)7月 - 野母商船、長崎自動車から長崎汽船を買収し子会社化
* 1965年(昭和40年)3月 - 野母商船、貨客船「太古丸」(初代)が博多〜上五島〜福江航路で就航
* 1967年(昭和42年) - 長崎汽船、長崎市の長崎港観光遊覧船事業を譲り受ける
* 1972年(昭和47年)10月 - 野母商船、長崎〜香焼航路に双胴船「ぐらばあ」(初代)就航
* 1976年(昭和51年)3月 - 長崎汽船、野母商船グループの高島商船と長崎汽船を存続会社として合併
* 1979年(昭和54年)5月 - 野母商船、博多〜五島航路に旅客フェリー「太古」(2代目)・「清信」就航
* 1982年(昭和57年)7月 - 長崎汽船、長崎港観光遊覧船事業を長崎汽船観光株式会社に分社
* 1990年平成2年) - 野母商船、'90長崎旅博覧会に合わせ尾上〜松が枝間シャトルポートを運航
* 1992年(平成4年)10月 - 野母商船、博多〜五島航路に大型旅客フェリー「太古」(3代目)就航
* 2004年(平成16年)7月 - 野母商船、長崎〜香焼航路に双胴船「ぐらばあ」(2代目)就航
* 2014年(平成26年)7月 - 野母商船、博多〜五島航路に大型旅客フェリー「太古」(4代目)就航、就航と同時に若松港への寄港を終了

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「野母商船」の詳細全文を読む




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