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野母商船株式会社(のもしょうせん)は、長崎県長崎市に本社を置く海運会社。野母商船グループの中核企業である。 社名は前身の村木汽船部が長崎・大波止と西彼杵郡野母村(現在の長崎市野母崎)間の旅客航路を開設していたことに由来するが、現在は野母港への路線は保有していない。 == 沿革 == * 1910年(明治43年)1月 - 片岡茂八が長崎交通汽船株式会社を設立し、大波止〜旭町・飽の浦間の定期旅客運航を開始 * 1910年(明治43年)12月5日 - 村木清三郎が「村木汽船部」の名称で海運事業を開始 * 1916年(大正5年) - 村木汽船部、長崎〜野母間の旅客航路を開設 * 1929年(昭和4年)12月20日 - 村木汽船部、株式会社化し社名を「野母商船」とする * 1930年(昭和5年)8月 - 野母商船、博多〜上五島航路開設 * 1939年(昭和14年)5月 - 野母商船、上海〜新江〜南京の揚子江航路を開設 * 1943年(昭和18年)6月 - 野母商船、マニラ〜イロイロ〜セブ〜ダバオのフィリピン航路を開設するが、太平洋戦争激化で揚子江航路と共に船舶を失い短期間で廃止 * 1945年(昭和20年)4月 - 長崎交通汽船、新興汽船に社名変更 * 1950年(昭和25年)4月 - 新興汽船、乗合バスとの競争激化により新興運輸へ社名を変更し、バス事業への参入許可を申請 * 1953年(昭和28年)3月 - 新興運輸、長崎自動車に吸収合併され長崎自動車海運部となる * 1955年(昭和30年)4月 - 長崎自動車、海運部を分社化し長崎汽船株式会社とする * 1961年(昭和36年)7月 - 野母商船、長崎自動車から長崎汽船を買収し子会社化 * 1965年(昭和40年)3月 - 野母商船、貨客船「太古丸」(初代)が博多〜上五島〜福江航路で就航 * 1967年(昭和42年) - 長崎汽船、長崎市の長崎港観光遊覧船事業を譲り受ける * 1972年(昭和47年)10月 - 野母商船、長崎〜香焼航路に双胴船「ぐらばあ」(初代)就航 * 1976年(昭和51年)3月 - 長崎汽船、野母商船グループの高島商船と長崎汽船を存続会社として合併 * 1979年(昭和54年)5月 - 野母商船、博多〜五島航路に旅客フェリー「太古」(2代目)・「清信」就航 * 1982年(昭和57年)7月 - 長崎汽船、長崎港観光遊覧船事業を長崎汽船観光株式会社に分社 * 1990年(平成2年) - 野母商船、'90長崎旅博覧会に合わせ尾上〜松が枝間シャトルポートを運航 * 1992年(平成4年)10月 - 野母商船、博多〜五島航路に大型旅客フェリー「太古」(3代目)就航 * 2004年(平成16年)7月 - 野母商船、長崎〜香焼航路に双胴船「ぐらばあ」(2代目)就航 * 2014年(平成26年)7月 - 野母商船、博多〜五島航路に大型旅客フェリー「太古」(4代目)就航、就航と同時に若松港への寄港を終了 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野母商船」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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