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野毛町(のげちょう)〔地元では「のげまち」と自称することも多いが、現在の正式地名は「のげちょう」である。〕は神奈川県横浜市中区にある地名。字1~4丁目からなる。約500店もの飲食店と動物園や大道芸で知られる。 == 概要 == 江戸時代末期に東海道と横浜港を結ぶ横浜道(よこはまみち)がひらかれ、野毛山の中腹に切り通しで道が作られたことで同地区は交通の要所となった〔現在は横浜駅根岸道路の一部となっており、切り通しは崖状の地形として現存している。〕。その後明治時代の陸蒸気の開通により桜木町駅〔初代の横浜駅として。〕の開業、三菱重工業横浜造船所の開設などで繁華街として栄えてきた。 第二次世界大戦終結直後に伊勢佐木町や港湾施設など横浜市の中心部の大半は進駐軍に接収されていた。この時代に同地区は日本人街の中心として機能し、日本が物資不足にあえぐ中で「野毛に来ればなんでも揃う」と言われるほどのにぎわいで、復員の兵士やかつての工員などが職と食を求めて集まりごった返していたという。当時は闇市と屋台が並ぶ地域で、まだ埋立て途中の桜川に沿って貴重な動物性たんぱく質源だったクジラカツを販売する「くじら横丁」〔クスブリ横丁またはカストリ横丁などとも呼ばれた。〕などは終戦当時を象徴する場所として語られることが少なくない。美空ひばりが本格デビューを果たした場所とされる横浜国際劇場もかつて同地区に存在していた〔厳密な所在地は隣の宮川町。ただし、宮川町は野毛浦から分離して起立した町。〕。 横浜国際劇場の閉館後、跡地にはウインズ横浜(場外馬券売場)が建てられ、週末に馬券を求める人たちで賑わうようになった。また後述の「野毛大道芸」が毎年4月に開かれ、町の名物ともなっている。 同地区は現在でも中低層の店舗(飲食・料理店など)が大半を占めているが、上層部に共同住宅を設ける高層ビル化も進んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野毛町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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