翻訳と辞書
Words near each other
・ 野津田町
・ 野津田競技場
・ 野津田薬師堂
・ 野津田車庫
・ 野津田陸上競技場
・ 野津田高校
・ 野津町
・ 野津町農業協同組合
・ 野津蔵人仲吉
・ 野津謙
野津道貫
・ 野津鎭雄
・ 野津鎮雄
・ 野津駅
・ 野津龍三郎
・ 野洲
・ 野洲中学校
・ 野洲図書館
・ 野洲川
・ 野洲川ダム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

野津道貫 : ミニ英和和英辞書
野津道貫[のづ みちつら]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [かん]
 【名詞】 1. kan (approx. 3. 75 kg) 

野津道貫 : ウィキペディア日本語版
野津道貫[のづ みちつら]

野津 道貫(のづ みちつら(どうがん)、天保12年11月5日1841年12月17日) - 1908年明治41年)10月18日)は、幕末薩摩藩士、明治の陸軍軍人貴族院議員東部都督教育総監第4軍司令官を歴任した。通称は七次。は道貫。最終階級は元帥陸軍大将正二位大勲位功一級侯爵。兄に陸軍中将・野津鎮雄がいる。
== 経歴 ==
鹿児島城高麗町の下級藩士・野津鎮圭の二男として生まれる。幼くして両親を亡くした。薬丸兼義薬丸自顕流を学ぶ。戊辰戦争に6番小隊長として参加。その活躍がめざましく、鳥羽・伏見の戦いから会津戦争、次いで箱館戦争に参戦。
明治4年(1871年)3月、藩兵3番大隊付教頭として上京し御親兵となる。同年7月、陸軍少佐に任じられ2番大隊付となる。明治5年(1872年)8月、陸軍中佐に昇進し近衛局分課に勤務。陸軍省第2局副長を経て、1874年(明治7年)1月、陸軍大佐に進級し近衛参謀長心得に就任。1876年(明治9年)7月から10月までフィラデルフィア万国博覧会に出張。1877年(明治10年)2月、西南戦争に政府軍第2旅団参謀長として出征。同年5月から8月まで豊後国指揮官を務めた。その後、日本陸軍上層部の一人となる。
1878年(明治11年)11月、陸軍少将に昇進し陸軍省第2局長に就任。その後、東京鎮台司令長官、同鎮台司令官を歴任。1884年(明治17年)2月から翌年1月まで陸軍卿大山巌の欧州出張に随行。同年7月、子爵を叙爵し華族となる。1885年(明治18年)2月から4月まで清国に出張。同年5月、陸軍中将に進み広島鎮台司令官に就任。
1888年(明治21年)5月、第5師団長に親補され、1894年(明治27年)8月、日清戦争に出征。さらに第1軍司令官に転じた。1895年(明治28年)3月、陸軍大将となり、同年8月、伯爵を叙爵。11月、近衛師団長に親補され、東京防禦総督、東部都督、教育総監、軍事参議官を歴任。
1904年(明治37年)6月、第4軍司令官に就任し、日露戦争に参戦。1906年(明治39年)1月、元帥の称号を戴くまでに至る。
1907年(明治40年)9月、侯爵に陞爵。同月より翌年10月まで、貴族院議員を務めた。1908年(明治41年)10月6日、大勲位菊花大綬章を受ける。同年10月18日、幽門閉塞のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)226頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「野津道貫」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.