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野津 龍三郎(のづ りゅうざぶろう、1892年(明治25年)2月5日 - 1957年(昭和32年)10月27日は、日本の大正から昭和期の化学者、京都帝国大学教授・甲南大学理学部長から。滋賀県出身者として二人目の理学博士(博士登録番号234番)。 == 生涯 == 1892年(明治25年)2月5日、滋賀県彦根市近郊の士族野津家に生まれる〔「化学 19(10)」 P68「日本の化学を築いた人たち 野津龍三郎先生」(化学同人編 1964年10月)〕。彦根第一中学校、1913年(大正2年)7月第三高等学校第二部乙類を卒業し〔「第三高等学校一覧 大正2年9月至大正3年8月」P241(第三高等学校編 )〕、1916年(大正5)年京都帝国大学理科大学を卒業する〔「京都帝国大学一覧 大正5年至大正6年 P410」(京都帝国大学)〕。卒業後神戸の鈴木商店(現双日のルーツの一つ)に入社し化学研究所に勤務、1921年(大正10年)1月大日本木管(紡績用木管類を生産)に転職した後、同年12月京都帝国大学理学部小松茂教授の下で講師になる〔。大学では久原躬弦教授に指導を受け「アミノメチルフェニカルビノールのベンゾイルエスチルの合成」卒業研究を行った〔。 1923年(大正12年)助教授に昇任、有機化学研究のため1925年(大正14年)アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスへ留学し、翌年4月17日理学博士の学位を授ける〔「学位大系博士録 理学博士 博士登録番号234番 昭和14年版」(発展社出版部 1939年)〕と共に教授に就任し、化学第三講座(有機化学)を担当した〔。英国ではオックスフォード大学のロビンソン教授(1947年ノーベル化学賞授賞)に、ドイツではフライブルク大学シュタウディンガー教授(1953年ノーベル化学賞授賞)に指導を受けた。1946年(昭和21年)京都大学化学研究所第5代所長に就任(1948年(昭和23年)退任)し、退官後1955年(昭和30年)3月9日京都大学名誉教授となった。その間、理学部長、日本学術会議会員、日本化学会長等の要職を歴任し、退官後も甲南大学教授に招かれて文理学部長(後に理学部長)となり、日本放射線高分子研究会大阪研究所長を兼務したが、1957年(昭和32年)10月27日65歳で胃癌により急逝した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野津龍三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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