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野津龍三郎 : ミニ英和和英辞書
野津龍三郎[のづ りゅうざぶろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)
: [み]
  1. (num) three 

野津龍三郎 : ウィキペディア日本語版
野津龍三郎[のづ りゅうざぶろう]
野津 龍三郎(のづ りゅうざぶろう、1892年明治25年)2月5日 - 1957年昭和32年)10月27日は、日本大正から昭和期の化学者京都帝国大学教授甲南大学理学部長から。滋賀県出身者として二人目の理学博士(博士登録番号234番)。
== 生涯 ==
1892年(明治25年)2月5日、滋賀県彦根市近郊の士族野津家に生まれる〔「化学 19(10)」 P68「日本の化学を築いた人たち 野津龍三郎先生」(化学同人編 1964年10月)〕。彦根第一中学校、1913年大正2年)7月第三高等学校第二部乙類を卒業し〔「第三高等学校一覧 大正2年9月至大正3年8月」P241(第三高等学校編 )〕、1916年(大正5)年京都帝国大学理科大学を卒業する〔「京都帝国大学一覧 大正5年至大正6年 P410」(京都帝国大学)〕。卒業後神戸の鈴木商店(現双日のルーツの一つ)に入社し化学研究所に勤務、1921年(大正10年)1月大日本木管(紡績用木管類を生産)に転職した後、同年12月京都帝国大学理学部小松茂教授の下で講師になる〔。大学では久原躬弦教授に指導を受け「アミノメチルフェニカルビノールのベンゾイルエスチルの合成」卒業研究を行った〔。
1923年(大正12年)助教授に昇任、有機化学研究のため1925年(大正14年)アメリカイギリスドイツフランスへ留学し、翌年4月17日理学博士の学位を授ける〔「学位大系博士録 理学博士 博士登録番号234番 昭和14年版」(発展社出版部 1939年)〕と共に教授に就任し、化学第三講座(有機化学)を担当した〔。英国ではオックスフォード大学ロビンソン教授(1947年ノーベル化学賞授賞)に、ドイツではフライブルク大学シュタウディンガー教授(1953年ノーベル化学賞授賞)に指導を受けた。1946年(昭和21年)京都大学化学研究所第5代所長に就任(1948年(昭和23年)退任)し、退官後1955年(昭和30年)3月9日京都大学名誉教授となった。その間、理学部長、日本学術会議会員、日本化学会長等の要職を歴任し、退官後も甲南大学教授に招かれて文理学部長(後に理学部長)となり、日本放射線高分子研究会大阪研究所長を兼務したが、1957年(昭和32年)10月27日65歳で胃癌により急逝した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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