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野洲河原の戦い(やすがわらのたたかい)は元亀元年6月4日(1570年7月6日)に現在の滋賀県野洲市で起こった合戦。落窪合戦とも呼ばれる。 == 経緯 == 織田信長は朝倉義景征討の途上で浅井長政の離反に合い敗退(金ヶ崎の戦い)。体勢の立て直しを図り、宇佐山城に森可成、永原城に佐久間信盛、長光寺城に柴田勝家、安土城に中川重政を配置したが、観音寺城の戦いで信長に追われ伊賀に逃げていた六角義賢・義治父子が甲賀武士達と糾合し、北進する。 元亀元年6月4日、六角軍は信長の重臣柴田勝家、佐久間信盛と野洲河原で衝突。落窪(乙窪)で交戦の末、六角方の三雲父子・高野瀬・水原・伊賀甲賀衆780人が討ち取られた〔太田牛一 『信長公記』 巻三 「落窪合戦の事」〕。 その後、6月28日には信長・徳川家康連合軍と、浅井・朝倉連合軍の姉川の戦いが起こり、浅井・朝倉側が敗退する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野洲河原の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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