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野澤 北地(のざわ ほくち〔*>『大衆人事録』では「野澤文彦」の次に記載されており「きたち」ではなく「ほくち」とした。〕、1884年(明治17年)1月19日 - 1972年(昭和47年)12月7日〔福川秀樹『日本陸軍将官辞典』〕)は、日本の陸軍軍人。軍馬補充部本部長を務めた陸軍少将である。 ==経歴== 北海道出身である。祖父に会津藩藩士上崎且馬(100石)がおり、上崎辰次郎は伯父にあたる〔 会津史談会『会津史談』第84号 『上崎辰次郎のこと』〕。野澤は創設以来の稚松会会員であった〔『稚松会会員名簿』(明治45年3月調)〕。仙台陸軍幼年学校(3期)を経て〔松下芳男『山紫に水清き:仙台陸軍幼年学校史』〕、陸軍士官学校17期を卒業し騎兵少尉に任官する。 日露戦争における第三軍の残務整理に従事〔 〕したのち、騎兵第七連隊附となり、騎兵実施学校学生、、陸軍士官学校馬術教官、陸軍騎兵学校教官〔『職員録 (大正7年)』〕等を経て騎兵第九連隊、同第一連隊〔『稚松会会報第19号』「陸軍現役会員名簿」〕、同第十五連隊の各連隊長を務める。 軍馬補充部員本部員を経て、1937年(昭和12年)に少将へ昇進。騎兵第一旅団長に補され、一年間在任。軍馬補充部本部長を最後に1939年(昭和14年)8月に予備役編入となった。 その後は日本競馬会監事を経て、満州馬事公会理事長などをつとめた〔帝国秘密探偵社『大衆人事録 外地・満・支・海外編』(第14版)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野澤北地」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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