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『野性の少年』(''L'Enfant sauvage'')は1969年製作のフランス映画。フランソワ・トリュフォー監督がJ・M・G・イタールによるアヴェロンの野生児の記録を映画化した。 イタール博士はトリュフォー自身が演じている。「俳優としての利害を忘れて、何よりも子どもを大切にできる人」というのがイタール博士を演じる俳優の条件だったのだが、適役がいなかったので自分でやることにしたそうである。 冒頭でジャン=ピエール・レオへの献辞があることからも分かるように、本作はある意味でトリュフォーの自伝的作品である。トリュフォーはヘレン・ケラーの伝記とカスパー・ハウザーの話も映画化を企画しており、登場人物の生徒と教育者には、かつての自分と恩師のアンドレ・バザンの姿が重ねられている。 カメラマンのネストール・アルメンドロスとは本作で初めてタッグを組んだ。アルメンドロスは以後のトリュフォー映画でも何度かカメラマンを務め、トリュフォーはアルメンドロスの著作『キャメラを持った男』の序文も書いている。なお、劇中で野生児の名前の候補の中には「ネストール」が含まれている。 == ストーリー == 「ジャン=ピエール・レオーに」(献辞) フランス中部の森林地帯アヴェロンで、獣の習性をもった、野性の少年が捕えられた。百姓たちはその処置にこまったが、ひとり、レミー老人(P・ビレ)だけが、この野性児に愛情ある接し方をした。やがて、少年はパリの聾唖者研究所に、研究のため引き取られた。そこのイタール博士(F・トリュフォ)と上役のピネル教授(J・ダステ)が少年を検査した結果、彼は赤ん坊の時、両親に喉を切られ、死んだと思って森に捨てられた、ということになった。この傷によって、少年は十二歳位だと判断された。少年は世間の関心を集め、見世物にされたり、悪戯されたりした。その興味が薄れた時、少年はもっと悲惨に扱われた。これをみかねたイタールは、少年の白痴的症状は、人間文化の不足によるものだとして、自分の家に引き取って、自説を証明しようとした。ビクトル(J・P・カルゴル)と名づけられた少年は、その日から、人間になるための困難な道を歩みはじめた。イタールはその過程を、克明に記録していった。それは人間味あふれる闘いであり、感情のコミュニケーションであった。家政婦のゲラン夫人(F・セニエ)も、やさしい心で少年に接し、協力した。少年の感性は、目覚めつつあった。初めて涙をながし、初めて「ミルク」と言った。そして、不当に罰せられると、反抗するようになった。これは大きな進歩であった。イタールは喜びのあまり叫んだ。「君はもう人間だ」。しかし、イタールにも失意の日はあった。絶望的になり、自分のしていることの意味がわからなくなることもあった。そして、ついにある日、ビクトルが逃亡した。だが、人間的感情を身につけてしまった少年には、一人ぼっちで自然にいることは耐えられなかった。みじめな様子でもどってきた少年を見て、イタールは自分の行ってきたことの成果をこんどこそ確信した。その時から、また彼とビクトルの新たなる勉強が、始まったのだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野性の少年」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The Wild Child 」があります。 スポンサード リンク
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