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下和知野稲城(のいねじょう)は、広島県三次市向江田町字下山手〔備後国三谿郡向江田村、のち和田村向江田〕にあった日本の城。天良山の南側の丘に位置する〔広島県教育委員会編、中国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1)、P227、1978年(昭和53年)3月〕。 土居跡も発見されており、13~14世紀に藤原氏の系統に連なる地頭・広沢実村(地名の和智氏を名乗る〔三次市和知町〕)の一男江田(えた)実綱氏の丘城(住居)かもしれない。しかし、江田氏の住居については不明である。 == 地理 == 1302年に厳島神社詣での帰路立ち寄った和智一族の江田氏の住居で、二条の君(後深草院二条、久我雅忠の娘)が「''世を厭ふならいながらも高簀垣 憂き節々は 冬ぞ悲しき''」と詠んだと日記『とはずがたり』5巻に書かれている。 江田氏の住居は、天良山〔冨倉徳次郎、『とはずがたり』、現代語訳、筑摩叢書、筑摩書房、1966年〕、江田川之内町・向江田町付近〔次田香澄校注、『とはずがたり』、校注古典叢書、明治書院、昭和53年(1978年)〕、向江田町〔福田秀一校注、『とはずがたり』、新潮日本古典集成、新潮社、昭和57年(1982年)〕または地名の脱落があり海岸に近い所の地名かも知れない〔次田香澄全訳注、『とはずがたり』上、下、講談社学術文庫、講談社、1992年5刷〕と校注されている。 和智邸の女房達から「あなたざまも御覧ぜよ。絵のうつくしき」と江田邸に行くことを薦められている〔次田香澄校注、『とはずがたり』、校注古典叢書、明治書院、昭和53年(1978年)〕ことから風光明媚な場所であったと思われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野稲城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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