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野間真綱(のま まさつな、1878年〈明治11年〉 - 1945年〈昭和20年〉)は、日本の英語教師。元陸軍士官学校英語教官。元明治学院講師。 == 略歴 == 1897年(明治30年)鹿児島県立中学造士館卒業後、第五高等学校文科一に進学。卒業後東京帝国大学英文科に進学。在籍中の英語講師には小泉八雲や夏目漱石がいた。眞綱は寄宿先の三河台にある島津男爵邸より、千駄木の漱石宅へ通い、就職の世話や生き方のあれこれを教えられたことははがき等の書簡に残っている(神奈川近代文学館収納)。 卒業後、1904年(明治37年)年2月から東京日比谷中学校講師、陸軍士官学校英語教官、明治学院講師を経た後、漱石の斡旋で、1909年(明治41年)6月、郷里鹿児島の第七高等学校造士館教授に就任した。同僚に漱石門下生の皆川正喜が在籍。 1915年(大正4年)から米国のシカゴ大学、ハーバード大学に留学、1916年(大正5年)11月11日、天洋丸にて帰国。かろうじて胃潰瘍と糖尿の悪化した漱石を見舞うことは出来た。 1919年(大正8年)、父正綱の死去後、1919年(大正8)年3月鹿児島を後にし、高知高校、姫路高校、弘前高校の英語教授を歴任した。 1935年(昭和10年)2月6日、弘前で脳溢血にて倒れ、依願退職し長女の嫁いだ神奈川県藤沢市で静養に勤める。 1945年(昭和20年)死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野間真綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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