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金 圓衡(キム・ウォニョン、 1972年7月5日 - )は、大韓民国出身の元プロ野球選手(投手)で野球指導者。 2006 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表の予備エントリーメンバーに登録された投手。 ==人物== 全州高校卒業後、1990年シーズンオフ、サンバンウル・レイダースに入団。当時、薄かった投手陣の事情と、先発として育てようとする当時の監督金寅植の計らいによって、新人の時から敗戦を積み上げながらも先発ローテーションの一角を担った。以後、チームの主軸投手として成長して当時童顔のおかげで「幼い王子様」の別名も得る。しかし、弱かったチーム戦力のため、力投が報われない場合が多く、よくて5割勝率、普段は負け越しで二桁勝利にはなかなか届かなかった。 1998年以後、親会社が財政的に苦しんで、主力を現金トレードで出して運営費に当てる渦中でも、彼はあいにく故障で出せなかったため、サンバンウル・レイダースの1軍リーグ参入から消滅までチームと共にした。 サンバンウルの解散の後は、他のチームメイトと共に、新球団SKワイバーンズに受け入れられて、同球団の創設メンバーになる。SK時代も事情は変わらず、貧弱な援護の中で孤軍奮闘することが多く、時が立つにつれ、故障や年齢の重ねから来る衰えなどで成績が下降線をたどるようになった。だが、2004年から再び復活の傾向を見せて、ローテーション選手の役割を果たす。2007年はレイボーン、ロマノなどの加入で、先発ローテーションから外され、中継ぎにまわされたが、チームは韓国シリーズで優勝。プロ生活17年目でようやく優勝の美酒を味わえた。 キャリアを通じて所属チーム戦力が弱かった時期がほとんどで、通算成績でも134勝を挙げながら、144敗と負け越した。2011年シーズン終了時点で、宋津宇に次ぎ、個人通算敗戦で2位にランクされている。 2008年シーズンは、先発が早期降板した時に登板するリリーフとして重用され、救援だけで12勝を上げてチームの公式戦1位に貢献したが、惜しくも連覇を達成した韓国シリーズでは登板機会がなかった。2009年シーズンは、プロ生活19年目にして初となる未勝利に終わった。 2010年シーズンは、2009年シーズン限りでの宋津宇などの引退により、韓国プロ野球で唯一20年以上現役を続けた選手となったが、プロ入り後最少の3試合の登板にとどまり、2年連続未勝利となった。2011年は1軍登板がなく、シーズン終了後現役を引退し21年間の選手生活に終止符を打ち、2012年からSKの2軍ルーキー投手コーチに就任した。同年4月8日には、SKの本拠地・文鶴野球場(仁川広域市)で引退セレモニーも行われた。2014年よりSK1軍投手コーチに転任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金圓衡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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