|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 金 : [きん] 1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular
金原 正徳(かねはら まさのり、1982年11月19日 - )は、日本の男性総合格闘家。東京都武蔵村山市出身。リバーサルジム立川ALPHA主宰。ブラジリアン柔術黒帯。元SRCフェザー級王者。 == 来歴 == 小・中学校は野球をやっていた。東京都立田無工業高等学校に進学するも、中退。たまたま近所の道場へ見学に行った事を機に格闘技を始める〔JAPANで勝利!金原正徳選手ゲスト格闘技のチカラ☆TVライブオンライン Youtube 2015年1月12日〕。 2003年9月15日、DEEPでプロ総合格闘技デビュー。 2007年3月12日、HERO'S 2007 開幕戦 〜名古屋初上陸〜のオープニングファイトで徹肌ィ郎と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。 2008年10月23日、DEEP 38 IMPACTで大塚隆史と対戦し、1-2の判定負けを喫した。 2009年3月20日、戦極初参戦となった戦極 〜第七陣〜のフェザー級(-65kg)グランプリ1回戦でキム・ジョンマンに3-0の判定勝ちを収めた。5月2日、戦極 〜第八陣〜のフェザー級グランプリ2回戦でジョン・チャンソンに3-0の判定勝ちを収めた。 2009年8月2日、戦極 〜第九陣〜のフェザー級グランプリ準決勝で日沖発に0-3の判定負けを喫するも、日沖の負傷によるドクターストップで決勝に進出。決勝では小見川道大に2-1の判定勝ちを収めグランプリ優勝を果たし、初代戦極フェザー級王座に認定された。 2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で山本"KID"徳郁と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2010年6月20日、SRC13のSRCフェザー級チャンピオンシップでマルロン・サンドロと対戦し、開始38秒右アッパーでKO負けを喫し王座から陥落した〔【SRC戦極】最強チャンピオン誕生!サンドロが金原を僅か38秒でKO、王座を奪取 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年6月20日〕。 2010年9月26日、ZST.25で吾妻エメルソンとグラップリングルールで対戦し、アキレス腱固めで一本勝ちを収めた〔【ZST】小谷直之がデビュー10周年記念試合で秒殺勝利!金原正徳も足関節で一本勝ち(1) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月26日〕。 2010年12月30日、戦極 Soul of Fightで行なわれた「SRC VS DREAM 交流戦」で前田吉朗と対戦し、パンチラッシュでTKO負けを喫した〔【SRC戦極】12・30日沖発がフェザー級王座獲得!交流戦はSRCが勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月30日〕。 2011年6月5日、2年4か月ぶりの参戦となったパンクラスでネオブラッド・トーナメント王者の宮路智之と対戦し、TKO勝ちを収めた。 2011年7月7日、ロシアで開催されたFight Nightsの65kg級タイトルマッチでラスール・ミルザエフと対戦し、TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。 2012年4月8日、バンタム級転向初戦となったHEATでジェイク・ハッタンと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収めた。 2012年12月22日、DEEP HALEO IMPACTでトム・マッケンナにTKO勝ち。試合後、マイクを握ると「三崎選手がケジメをつける日という事で、僕も男としてケジメをつけます。ユカー、結婚しようぜ!」と客席にいた恋人にプロポーズをした〔後楽園 バウトレビュー 2012年12月22日〕。 2013年9月29日、PANCRASE 252のワールドスラム バンタム級1回戦でジョー・ピアソンと対戦し、左フックでKO勝ち。 2014年4月29日、DEEP 66 IMPACTで北田俊亮と対戦。ギロチンチョークを仕掛けられている状態から北田と一緒に場外に落ち、反則負け。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金原正徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|