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金城の戦い(日本語:クムソンのたたかい、きんじょうのたたかい、韓国語:金城戰鬪、、中国語:、英語:)は、朝鮮戦争停戦間際の1953年7月13日から7月27日にかけて行なわれた国連軍及び中国人民志願軍による戦闘。 == 経緯 == 1953年3月、スターリン首相が急死すると共産側は態度を軟化し、休戦交渉は進展した。1953年春から中朝軍はにわかに攻勢を開始した。5月に始まった第1次進攻、第2次進攻によって、中朝軍は金城東側で正面10キロ、縦深3-8キロの地歩を獲得した〔。このため国連軍の前線は金城地区の20キロ正面が突出する形となった〔。 6月初旬頃から中共軍の局地攻勢の頻度が増してきた〔。当初は、小・中隊規模の攻撃であったが、ついには連隊規模で前哨陣地の争奪を繰り返し、7月になると、ますます規模が大きくなった〔。この間に金城突出部では変化が起きなかったが、捕虜の供述や偵察から中共軍の集結を察知しており、「華川ダムを目標として大攻勢をとる」という捕虜の陳述もあった。 当時、韓国軍第2軍団(軍団長:丁一権中将)は、西から第6師団、第8師団、第3師団、第5師団を並列して金城川に沿う20キロ正面を防御していた〔。さらに第2軍団の西にはアメリカ軍第9軍団隷下の首都師団、第9師団が配備され、東にはアメリカ軍第10軍団の第7師団が北漢江の東岸を防御しており、金城突出部を中心として韓国軍の7個師団が防御していた〔。 第2軍団は、軍団長の丁一権が体調を崩しており、一部の師団は経験の浅い師団長が指揮をしていた。また中共軍については局地争奪戦を仕掛けてくると判断し、大攻勢を予想していなかった。 中共軍の攻勢理由については、「韓国軍の面目を失墜させ、戦後の政治的立場を有利に運ぶ」、「華川ダムを奪取して韓国の復興を妨げ、北朝鮮の復興を容易にさせる」、「弾薬を撃ち尽くす」などが挙げられる〔。 中共軍の作戦構想は、西集団、中集団、東集団の3つの作戦集団をもって、金城突出部の中央部に当たる利船洞を求心的に攻撃し、韓国軍第2軍団を包囲殲滅した後、梨実洞-北亭嶺-利船洞-広大洞を占領(第1段階)〔。戦果を拡張して、南方数キロの三天峰-赤根山-白岩山を占領(第2段階)し、またこの攻勢を容易にするために、西側では第54軍で韓国軍第2軍団の西翼を攻撃し、東側では第21軍を進出させてアメリカ軍第10軍団を阻止することであった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金城の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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