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金子氏(かねこし)は、桓武平氏の流れをくむ武蔵七党の村山党から派生した支族。武蔵国入間郡金子(現在の埼玉県入間市金子)を領した。 武蔵国多摩郡村山を領した平頼任が村山党の祖となり、その孫の家範が入間郡金子に住み金子を名乗ったのが始まりである。現在でも埼玉県入間市から東京都清瀬市周辺にかけて多く見られる。 家範の子家忠は保元の乱・平治の乱などで活躍し、その功績により金子氏は金子や伊予国新居ほかの地頭となり、金子広家の子孫は伊予金子氏として栄えた。 ==武蔵金子氏== 金子氏嫡流はそのまま代々入間郡金子を領した。南北朝時代、武蔵平一揆が起こると金子家祐は河越氏に従い敗北。その後は関東管領上杉氏家臣の武蔵守護代大石氏に従う。戦国時代になり、河越夜戦で上杉氏が後北条氏に敗れ没落すると、金子家長は逸早く天文15年(1546年)には北条氏康に属した。以後は八王子城の北条氏照に従い下野国進出などで活躍した。 天正18年(1590年)の小田原征伐で前田利家・上杉景勝の軍勢が攻めてくると、松山城留守居を勤めていた金子家基は城代の山田直安以下難波田憲次・若林氏らと共に前田・上杉勢に降伏。家基は直江兼続軍の先兵となって八王子城を攻めた。 後北条氏が滅亡すると金子政熙はその後も景勝に属したが、慶長5年(1600年)の徳川家康による会津征伐によって、景勝の領地が削減されたとき浪人の身となった。その後は京都所司代板倉勝重に仕え、子孫は板倉氏の老臣として重用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金子氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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