翻訳と辞書
Words near each other
・ 金子武志
・ 金子武蔵
・ 金子武雄
・ 金子武雄 (1905年生)
・ 金子武雄 (1906年生)
・ 金子比呂子
・ 金子氏
・ 金子民雄
・ 金子沙織
・ 金子泰清
金子泰蔵
・ 金子泰藏
・ 金子洋一
・ 金子洋三
・ 金子洋平
・ 金子洋文
・ 金子浩
・ 金子浩久
・ 金子海音
・ 金子清


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

金子泰蔵 : ミニ英和和英辞書
金子泰蔵[きんす, かねこ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 
金子 : [きんす, かねこ]
 【名詞】 1. money 2. funds 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [たい]
 【名詞】 1. Thailand  
: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

金子泰蔵 ( リダイレクト:金子泰藏 ) : ウィキペディア日本語版
金子泰藏[かねこ たいぞう]
金子 泰藏(かねこ たいぞう、1904年(明治37年)10月23日 - 1987年(昭和62年)5月17日〔JLogos | 金子泰蔵 | CD人物レファレンス事典 日本編〕)は、日本の商学者〔、教育者通訳者であり、東京国際大学の創立者である。1973年勲三等旭日中綬章受章。
== 来歴 ==
1904年10月23日東京浅草で生を受ける。旧制府立三中に進学し、卒業後、東京商科大学(現・一橋大学)に入学した。在学中に後の国連大使・加瀬俊一と知り合い、同じ語学クラブとして英語を学ぶことになる〔たった一人の寺子屋から―金子泰蔵の世界 自叙伝 (1985年)〕。大学卒業後、東京商工会議所に就職し、外国課長として貿易業務を行いながら、新設されたばかりの上智大学にて教授として英語を教えていた〔創学者金子泰藏生誕100年・東京国際大学創立40周年記念式典・記念講演会‐金子泰雄理事長の祝辞〕。1941年太平洋戦争が開始されると、三菱、三井と共に軍事産業を行っていた日本鉱業の海外課長となり、海外調査の業務全般を行う〔。終戦後日鉱をやめ独立し、GHQ通訳者として採用された〔学校法人 東京国際大学 - 埼玉りそな産業経済振興財団 〕。ダグラス・マッカーサーは経済に対する命令書を次々に出し、その命令書を英文から和訳にし日米の橋渡しにと奔走した。1948年、GHQの専属通訳者を務めていた縁で、日本の戦時賠償を担当する賠償庁参与官に就任する〔。その年、GHQはそれまで禁止していた国旗掲揚を許可し、総理府の職員の険しい顔も笑顔に戻り金子の胸も熱くなったという。しかし、GHQで働いてる過程で日本人の国際化の必要性を痛感していた〔。その後、予備校の一橋学院1951年に創立する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「金子泰藏」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.