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金 寅植(キム・インシク、、1947年5月1日 - )は、大韓民国の野球選手・野球指導者。いくつかの国際大会では野球大韓民国代表の監督も務めた。 == 経歴 == 1965年より1972年までアマチュア野球のクラウンビール、海兵隊、韓一銀行で活躍。その後アマチュア野球の指導者に転じ、東国大学校の監督などを経験。 プロ野球の指導者としての活躍は1986年のヘテ・タイガースのコーチを皮切りにサンバンウル・レイダース、斗山ベアーズの監督を経て2005年よりハンファ・イーグルス監督。 国際対決での韓国チームの指導者としての経歴は1991年の日韓親善プロ野球スーパーゲームでコーチとして参加、1995年の同大会では監督を歴任。3位決定戦で日本を破ったシドニーオリンピックではコーチとして銅メダル獲得に貢献。2002年の釜山アジア競技大会では監督として韓国ナショナルチームを優勝に導く。 アテネ五輪の出場権のかかったアジア野球選手権大会2003では金寅植の代わりに、同年の韓国シリーズの優勝監督の金在博(キム・ジェバク、元・LGツインズ監督、当時現代ユニコーンズ監督)がリーグ優勝監督として代表チームの監督を務め、初戦の台湾に4対5で敗れたことが響いてアテネ行きを逃してしまった。 2004年シーズンオフ、ハンファ・イーグルスの監督に就任したが、就任まもなく軽い脳梗塞を起こし、一時は去就が不透明だった時期もあった。だが、リハビリを進ませながら同時にスプリングキャンプから球団の指揮を執る精神力を見せて、下馬評のよくなかったチームをレギュラーシーズン4位を経てプレーオフまで導いた。翌年の2005年の準プレーオフでは、戦力的には見劣りしていた公式戦4位のハンファを率いて同3位のSKワイバーンズに勝利している。 健康を心配する声もあった中で、これらの短期決戦の相性の良さから監督再登板が決定した。2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の2次リーグで日本を倒した韓国ナショナルチームについて多くの韓国のマスコミや一般の野球ファンから「世界一も可能」、「アメリカやキューバとも対等に戦える」、「彼が監督だったら台湾に代わってアテネ五輪に出場できて、メダルも獲得できた」と騒がれた。それでも金寅植は「WBCで日本に2連勝したからといって、韓国の野球の方が日本より優れているとは思わない」と答えた。しかしWBC準決勝では日本に0対6で完敗し、「上原投手が素晴らしかったです。選手たちに本当にありがとうと言いたいですね」とコメントした。 同年のプレーオフでは公式戦は3位だったハンファを率いて同2位の現代に勝利し、韓国シリーズ進出を決めた。 2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも、ハンファ・イーグルスの監督を兼務しつつ、韓国代表監督を任されることになり、決勝戦で大会5度目となる日本戦に敗れたものの、準優勝という好成績を残した。ところがこの年ハンファは最下位を独走してしまい、3年契約が切れることもあってシーズン終了とともに監督を退任、のちに韓国野球委員会の技術委員長となり野球韓国代表の編成などに関わってきた。 2015年6月29日、新たな野球の国際大会・WBSCプレミア12の韓国代表監督に就任。同年11月の第1回WBSCプレミア12で韓国代表を優勝に導いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金寅植」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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