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金岡幸二 : ミニ英和和英辞書
金岡幸二[かなおか こうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 
: [に]
  1. (num) two 

金岡幸二 : ウィキペディア日本語版
金岡幸二[かなおか こうじ]
金岡 幸二(かなおか こうじ、旧姓石坂、1925年(大正14年)9月20日 - 1993年(平成5年)7月30日)は日本の実業家。教育者。元インテック社長。元チューリップテレビ社長。元学校法人富山国際学園理事長。
== 来歴・人物 ==
最高裁判所判事を務めた石坂修一の次男として富山県に生まれる。祖父は、富山市長、参議院議員を務めた石坂豊一〔『富山県 実力者とその人脈 政界、教育界、労働界編 』富山新聞社、 1976年。〕。
麻布中学卒業後、軍人の道を選び、戦闘機に乗りパイロットとして戦った。敗戦後には、東京大学工学部に進学し計測工学を専攻した。卒業後、東京電力の子会社であった東光電気に入社する。また、東京理科大学芝浦工業大学富山工業高等専門学校で教鞭を取ったこともあった。
1955年(昭和30年)帰郷。北陸製塩工業に入社する。一時は組合の委員長も歴任するも、その後取締役に就任する。しかし、経営方針をめぐって内部対立し退社する。
1964年(昭和39年)、インテックの前身である富山計算センターを設立。専務に就任する。その後同社をインテックに改称し、社長に就任した〔金岡幸二とは - コトバンク〕。
社長在任中は、1986年(昭和61年)の東証名証1部上場実現等に手腕を発揮し、同社をわが国有数のコンピューター企業へと育て上げた。また、チューリップテレビ、第一薬品、テイカ製薬社長も兼務したほか、富山国際大学を創設もした〔『富山大百科事典』 北日本新聞社、 1994年。〕。さらに、44歳で富山県教育委員に選出され県教育委員長を4期務めた。
1993年(平成5年)7月30日、逝去。享年67
娘婿にインテック取締相談役、ITホールディングス代表取締役会長を務める金岡克己〔「CHUNICHI Web 社長を語る インテック(富山市)金岡克己社長(55)知覚と人間性を大切に」 『中日新聞』 2012年2月14日〕、義弟に金岡祐一金岡純二がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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