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金平 正紀(かねひら まさき、1934年2月10日 - 1999年3月26日)は、日本のボクシング指導者、ボクシングプロモーター。金平ジム(現・協栄ボクシングジム)設立者。広島県広島市出身〔金平家は広島県豊田郡川尻町で漁を営んでいた家系と、金平桂一郎が自身のブログ、2007年6月9日分で言及している(金平桂一郎ブログ「興行師のひとりごと」 )。〕〔三輪義弘の著書『世界の勝負師 名トレーナー金平正紀に学ぶ』では川尻町生まれ(同書9頁)。〕。 長男は現・協栄ボクシングジム会長の金平桂一郎。 == 来歴 == === 青年期 - ジム設立 === 中学時代にケンカで負けた悔しさからボクシングを始める〔『世界の勝負師 名トレーナー金平正紀に学ぶ』 9-19頁〕。呉市にあった芸南高校〔荒廃校として有名であったが、現在は廃校となっている。その地は代わりに私立幼稚園として運営されている(第11回ア式蹴球全国優勝大会#概要)。〕を1年で中退して上京。野口ボクシングジムに入門しフライ級とバンタム級で活躍する。日本チャンピオンにはなれなかったが、国内ランキングでは1位、師匠同様のブルファイター型のボクサーとして目黒ジムの四天王と呼ばれた。後の三迫ジム初代会長三迫仁志は同い年の兄弟子、会長の長男野口修とは同い年の親友だった。 1958年に引退後、しばらくはマネージャーとして活動するが、ボクシングから身を引くことと決意し、ジムの後輩である山神淳一を大番頭にとんかつ屋を開業する。金平が現役時代に住み込みで働いた目黒雅叙園仕込みの味付けは〔皿洗いが本職だったが暇なとき、板場に入り込んで、見て覚えたもの(『世界の勝負師 名トレーナー金平正紀に学ぶ』16頁)。〕評判を呼んだという〔。ある日、新規にアルバイトを募集したところ、応募してきたのが海老原博幸であった〔【今日は何の日?】〝カミソリパンチ〟海老原博幸が世界王者に! 〕。求人広告には「特典:ボクシング教えます」の一行が書き加えてあった〔最高の天才・海老原 金平会長の著書で太鼓判- 東奥日報 〕。海老原とグローブを交え、天与の才能を見出した金平は、繁盛していた店を畳み1959年、「金平ジム」(のちの協栄ジム)を設立する〔〔海老原博幸vs金平正紀 「ボクシングやめます!」|BOXING MASTER 〕。練習生は海老原一人であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金平正紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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