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金承鈺(キム・スンオク、1941年12月23日 - )は、韓国の小説家、脚本家。4・19世代作家、またはハングル世代作家と称され、1960年代から1970年代をカリスマのごとく賑わした人気作家である。 == 略歴 == 金は1941年12月23日、大阪に生まれる。父は東京の留学生で、母は漢医の娘。1945年6月、戦局から日本の敗戦を悟った金ら家族は朝鮮に帰国し全羅南道順天に住む。金は日本で育ったため、順天に移住したての頃は日本語しか知らず、朝鮮の学校ではたいへんな苦労をした。父は麗水・順天事件後に行方不明になり、金は父の記憶がほとんどない。順天高等学校を経て1960年、ソウル大学校仏文科に入学する。1960年は四月革命(4・19革命)が起こった年であり、この時代に青春時代を送った者を総じて4・19世代と呼ぶが、金は4・19世代の代表的な作家となっていく。 金が文壇にデビューするのはソウル大学在学中の1962年、「生命演習」が『韓国日報』新春文芸に当選してからだ。金は同じ年に同人誌『散文時代』を作り、李清俊、朴泰洵、キム・ヒョン、崔夏林等と文学修業を共にしている。また『ソウル経済新聞』にアルバイトとして漫画を連載執筆している。『散文時代』の同人以外にも大学時代には、金光圭、金柱演、廉武雄、金芝河等、その後文人として活動することになる人物と多く接触し、親交を深めた。1964年、大学4年のときに上梓した『霧津紀行』が人気を博し、金はカリスマ的な存在として文壇を賑わした。1965年には「 (ソウル、1964年冬)」で早くも韓国文壇の権威的文学賞である東仁文学賞を受賞する。 金の小説は大きく二つの時期に分けることができる。初期の作品は社会の規範からはみ出した人物の生きる価値を見出そうとする過程に焦点を置いたが、徐々に社会規範を認めそれにあがなえなくなり、後期に至っては社会規範の中でさ迷う幻滅と虚無感に辿り着く。 すでに1960年代から脚本の執筆も手掛けている。自身の「 (霧津紀行)」の映画化作品「 (霧)」で脚本を担当した。他作家でも金東仁の「 (甘薯)」を脚本化し監督も務める。当作品は興行的に成功しなかったが、李御寧の「 (将軍の髭)」、金芝娟の「 (明日は真実)」、趙善作の「 (ヨンジャの全盛時代)」、趙海一の「 (冬の女)」等ベストセラーの映画化によって脚本家としても成功を収めた。また金芝河解放運動にも参加している。後年は世宗大学校国語国文科教授や韓国公演倫理委員会委員を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金承オク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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