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金森氏(かなもりし)は、日本の氏族のうちのひとつ。 == 歴史== 清和源氏土岐氏流を称す。美濃土岐氏当主の土岐成頼の子の一人である定頼が領地を大桑(現在の岐阜県山県市大桑)に持ったことから大桑氏を称し、後に船田合戦の功によって領を大畑(現在の岐阜県多治見市大畑町)に移した事により大畑氏を称す。そして定頼の子の大畑定近は後に近江国の金森村(現在の滋賀県守山市金森)に居を移し、金森姓を称したという。 戦国時代の当主・金森長近(定近の子)は織田信長に仕え、斎藤氏攻略戦などで活躍。その後柴田勝家の与力となるが、勝家が滅ぼされた後は羽柴秀吉に従い、天正13年(1585年)に飛騨国を与えられた。慶長5年(1600年)に行われた関ヶ原の戦いでは東軍の徳川家康方に付き、戦後高山藩主となった。 長近実子の長光は慶長16年(1611年)に7歳で夭逝し、長近が美濃の長屋氏から養子として迎えた可重の家系がその後続いた。 宝暦8年(1758年)、藩主・頼錦は江戸幕府に藩政を咎められ、金森家は改易された。頼錦の子たちも連座したが、明和3年(1766年)赦免され、六男の頼興が天明8年(1788年)に1,500俵で名跡を継ぎ、子孫は旗本寄合席として存続した。また重頼の弟の重勝が分家・金森左京家を高山藩内に興しており、本家改易後は越前国に移され、3,000石の旗本・交代寄合表御礼衆として存続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金森氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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