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金沢孝史 : ミニ英和和英辞書
金沢孝史[かねざわ たかし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 

金沢孝史 : ウィキペディア日本語版
金沢孝史[かねざわ たかし]

金沢 孝史(かねざわ たかし、1973年5月13日 - )は、将棋棋士。棋士番号232。北海道札幌市出身。勝浦修九段門下。
== 棋歴 ==
奨励会では、15歳で初段、17歳で三段と昇段が速かったが、三段リーグに17期(8年半)在籍ともたつき、年齢制限間近で四段昇段を果たす。当時、「将棋世界」誌に載った四段昇段の所感の記事には、「自分より弱い」人達が、先に次々と昇段した悔しさが書き綴られていた。
第42期(2001年度)王位戦でリーグ入りする活躍を見せたが、5戦全敗に終わった。最終戦の屋敷伸之との対局では41手目の一手に4時間46分の大長考をした〔当時王位戦挑戦者決定リーグの持ち時間は5時間だったため、持ち時間の95%を41手目に費やしたことになる。〕。
第43期(2002年度)王位戦では、2年連続のリーグ入り。順位戦A級及びタイトル戦番勝負経験者の淡路仁茂南芳一から勝ち星を挙げるが、他の3名に敗れリーグ残留はならなかった。
順位戦では、第61 - 62期(2002 - 2003年度)にC級2組の降級点を2回連続で喫し、翌期は最終戦で佐藤和俊に勝ちフリークラスへの降級(3つ目の降級点)を回避したものの、2005年4月1日付けで在位6期〔宣言によるフリークラスでは史上最短、降級も含むと熊坂学の3期(制度上最短)に次ぎ2番目となる。〕・31歳の若さ〔宣言によるフリークラスでは櫛田陽一の30歳に次ぎ2番目の若さ、降級も含むと熊坂の27歳・櫛田及び藤倉勇樹の30歳に次ぎ3番目となる。〕で宣言によりフリークラスに編入。
出場停止処分(後述)からの復帰直後の2006年度から2007年度にかけては本戦進出こそないものの非常に優秀な成績を収め、8連勝を2回記録した〔1回目は2006年7月10日・第48期王位戦予選1回戦・桜井昇戦から同年10月12日・同予選3回戦・松尾歩戦まで、2回目は2007年5月14日・第79期棋聖戦一次予選1回戦・田丸昇戦から同年7月30日・第1回朝日杯将棋オープン戦一次予選1回戦・中井広恵戦まで。〕。その間、連続する対局の良いところ取りで20勝7敗という、仮に降級したフリークラス棋士ならば、規定〔仮に前後3局を全敗したとしても、「良いところ取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上(年度をまたいでも有効)」の規定が満たされている。〕により順位戦に復帰できる好成績をあげた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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