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金沢浄 : ミニ英和和英辞書
金沢浄[かなざわ じょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 

金沢浄 : ウィキペディア日本語版
金沢浄[かなざわ じょう]

金沢 浄(かなざわ じょう、1976年7月9日 - )は、埼玉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)及びミッドフィールダー(MF)
==来歴==
小学校1年生(6歳)の時に兄の影響でサッカーを始める〔 入間市 (2004年3月1日)〕。武南高等学校時代は左の攻撃的なウイングとしてプレーし、2度の選手権に出場。1995年に進学した国士舘大学では左サイドバックにポジションを下げて2度の全日本大学選手権優勝を果たすなど活躍。1997年にはユニバーシアードに臨む日本代表に選出され、主将を務めた。
1999年ジュビロ磐田に入団。FWからストッパーまで務めるユーティリティープレイヤーとしてチームプレーに徹し、守備を整えて劣勢を鎮める役割を担って〔 WEBサッカーマガジン (2003年6月11日)〕 2度のリーグ優勝に貢献したが、レギュラーポジションを獲得するには至らなかった。
2003年、左サイドの強化を図るFC東京へ移籍〔 ジュビロ磐田 (2003年1月24日)〕〔 FC東京 (2003年1月24日)〕。原博実監督によって左SBのレギュラーに据えられると、優れた基本技術と状況判断でチームにフィットし〔 東京中日スポーツ (2004年4月28日)〕、GK土肥洋一と並びリーグ戦全試合にフル出場〔選手出場記録 Jリーグ (2003年8月2日)
選手出場記録 Jリーグ (2003年11月29日)〕。この活躍で出身の入間市からも表彰された〔 FC東京 (2004年1月30日)〕。2004年も安定したプレーを続け、同年のナビスコカップ優勝に貢献した。2005年に入って細かな怪我が増え始め2006年にはアキレス腱断裂により長期離脱を強いられた〔金沢 浄選手の検査結果について / F東京 (cache ) J's GOAL (2006年6月30日)〕。2007年のJ1開幕戦で復帰〔Tokyo Mania Vol.21 ジョーマニア 182ch (2007年3月13日)〕。シーズンを通してレギュラーを確保し、チームを支えた。2008年、新加入の長友佑都に左SBを奪われたが〔【J1:第33節 F東京 vs 新潟】プレビュー (cache ) J's GOAL (2008年11月30日)〕、磐田在籍時に経験のあるボランチや、長友不在時の左SBとして出場機会を得た〔金沢”本職”で先発 長友欠場で1カ月ぶり左SB 東京中日スポーツ (2008年5月9日)〕(長友を右サイドに配しての併用もあった)。2009年に入るとボランチでも米本拓司の台頭を受け出場機会を失った〔金沢移籍を正式発表 東京中日スポーツ (2009年8月25日)〕。
2009年8月、左SBを固定できずにいた〔磐田が東京からDF金沢浄を獲得 日刊スポーツ (2009年8月25日)〕 磐田からオファーを受け、7年ぶりに磐田に復帰〔 FC東京 (2009年8月24日)〕〔金沢浄選手FC東京より完全移籍加入のお知らせ ジュビロ磐田 (2009年8月24日)〕。的確なボールポゼッションで時間を作り〔磐田DF金沢が完全合流し左SBで復帰へ 日刊スポーツ (2009年10月29日)〕 チームを落ち着かせたが〔磐田が今季2度目の完封勝利 / ナビスコ杯 日刊スポーツ (2010年5月29日)〕、左SBを本職とするパク・チュホや〔磐田は総力戦、イ・グノ強行出場へ 日刊スポーツ (2010年4月17日)〕宮崎智彦の加入により徐々に出場を減らした。
2014年、ザスパクサツ群馬に完全移籍〔金沢浄選手 ザスパクサツ群馬へ完全移籍 ジュビロ磐田 (2014年1月8日)〕〔【トップチーム】金沢 浄 選手 ジュビロ磐田より完全移籍加入のお知らせ ザスパクサツ群馬 (2004年1月8日)〕。若いチームを支える精神的支柱として期待を寄せられるも〔 ザスパクサツ群馬、2014補強診断。残留が“目標”は避けたい、2年目の秋葉体制 フットボールチャンネル (2014年2月16日)〕、開幕直前の練習試合で左膝内側側副靱帯断裂【トップチーム】金沢浄 選手 検査結果のお知らせ ザスパクサツ群馬 (2014年3月5日)〕。前半戦をリハビリに費やし、同年7月の第24節北九州戦で移籍後初出場。ボランチに入り高い戦術眼と技術を見せたが、同年11月にプロとしての現役引退を発表した〔【トップチーム】金沢 浄選手 現役引退のお知らせ ザスパクサツ群馬 (2014年11月29日)〕。
2015年、FCフエンテ東久留米に加入〔新加入選手のお知らせ FCフエンテ東久留米オフィシャルブログ (2015年4月13日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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