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金田 伊功(かなだ よしのり、1952年(昭和27年)2月5日 - 2009年(平成21年)7月21日)は、日本の男性アニメーター。奈良県出身。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。 「伊功」は「いこう」と読まれることもある。別名義に当初は誤字だったものを使用した「金田伊助」や、スクウェア・エニックス在籍中に他社仕事の際に使った「戸隠三郎」がある。 == 生涯 == 航空自衛隊パイロットだった父親を見て育ち、自分もその道を熱望していたが、視力が悪く断念する。この時に映画『空飛ぶゆうれい船』の宮崎駿の作画に衝撃を受け、アニメーション業界を志すきっかけとなる。高校2年生の時のノートには、当時好きだったテレビアニメ『アタックNo.1』のヒロイン・鮎原こずえのイラストが多数描かれており、当時からプロレベルに近い画力であった〔「アニメの革命児 金田伊功」『MAG・ネットスペシャル』 NHK衛星第2テレビジョン 2010年8月14日放送。「金田伊功スペシャル」(徳間書店)p82-p84〕。 アニメの通信教育を経て東京デザイナー学院のアニメ科で学び、東映動画(現・東映アニメーション)の契約社員となる。1970年に同社のテレビアニメ『魔法のマコちゃん』で動画デビュー。東映動画を退社後、荒木伸吾のフリー集団のスタジオZ(第1期)〔「魔女っ子スタッフ人名録 荒木伸吾」『魔女っ子大全集 東映動画篇』たるかす編、バンダイ、1993年、p.147。〕、野田卓雄のスタジオNo.1を経て1976年にスタジオZ(第2期)〔「スタジオZ5の若き獅子たち」『アニメージュ』1981年8月号、徳間書店、p.89。〕、1980年にスタジオNo.1を結成して活動。1974年に野田が作画監督を担当した『ゲッターロボ』で原画として活躍してから1970年代半ばから『大空魔竜ガイキング』、『惑星ロボ ダンガードA』などの東映動画のロボットアニメ、『超電磁マシーン ボルテスV』のオープニングアニメに始まる日本サンライズ(現・サンライズ)での『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』といったロボットアニメや『サイボーグ009』のオープニングアニメ、『くじらのホセフィーナ』の第03話、第20話で注目を集める。 1980年代前半には『銀河旋風ブライガー』〔池田憲章「池田憲章のいいシーン見つけた! 第1回 『銀河旋風ブライガー』のオープニング」『アニメージュ』1982年1月号、徳間書店。〕などのJ9シリーズ、『魔境伝説アクロバンチ』や『機甲創世記モスピーダ』などでオープニングアニメーションの仕事をし、山下将仁など金田の影響を受けたアニメーターを輩出した〔氷川竜介「アニメーション表現の歴史 金田モドキの時代/第三世代・エフェクトアニメーターたち」『SFアニメが面白い』p.170。〕。1979年の劇場版『銀河鉄道999』以来、アニメ映画の仕事が増え『ヤマトよ永遠に』『地球へ…』『宇宙戦艦ヤマト 完結編』『幻魔大戦』などのアニメ映画に参加してメカ作画やエフェクトアニメを担当するようになった〔『動画王』p.197。〕〔「スタジオNo.1 スタジオZ5の俺たちの10大ニュース」『アニメージュ』1983年2月号、徳間書店、p.34。〕。それらの作品の中には「スペシャルアニメーション」や「メカニック作画監督」と金田のために特別な役職まで設けられたものもあり、スターアニメーターとも言える地位を築いて〔氷川竜介「アニメーション表現の歴史 エフェクトの巨匠・金田伊功」『SFアニメが面白い』EYECOM Files編、アスキー、1997年、p.169。〕〔竹熊健太郎『ゴルゴ13はいつ終わるのか? 竹熊漫談』イースト・プレス、2005年、p.135。〕、当時のアニメ雑誌では機会があるごとに金田の情報を取り上げた〔編集部コラム・編集(マ)の『アニメージュ』が愛したアニメ「第10回 元祖スターアニメーター――金田伊功」 アニメージュ公式サイト 2009年5月25日。〕。熱心なアニメファンの中には金田を主役にした自主制作アニメを制作するグループまで現れた〔「アニメランド 自主制作アニメーションキンタマン東北で大評判 主役はあの金田伊功さん」『アニメージュ』1986年1月号、徳間書店、p.113。制作した4人グループ「アニメーションべろべろ」には玉川達文が参加。〕。1980年代半ばになるとスタジオジブリの宮崎作品の常連になり、主にアニメ映画の仕事をこなすようになっていった〔『動画王 Vol.1』〕〔赤星政尚、月村了衛、山本元樹「ロボット アニメ殿堂入りスタッフ紳士録」『不滅のスーパーロボット大全』二見書房、1998年、 p.129。〕〔『20年目のザンボット3』p.142。〕〔「ギョーカイ噂の今さら友だちのWA! 金田伊功さんの巻」『アニメV』1988年6月号、学習研究社、p.44。〕。 1998年から劇場作品『ファイナルファンタジー』の制作に参加〔「金田伊功の世界」『アニメージュ』1998年5月号、徳間書店。〕したのをきっかけにスクウェアに入社し、スクウェア・エニックスの旧第7開発事業部所属の社員としてゲームのムービー制作を担当していた。この時期は日本を離れてハワイに滞在しており〔「イベント「小松原一男のアニメーション」記録」『小松原一男アニメーション画集』小松原一男著、なみきたかし編集、東急エージェンシー、2002年、p.153。〕〔「OPを担当したゲームが連続リリース!金田伊功ミニ・インタビュー!!」 WEBアニメスタイル 2005年5月20日。〕、日本での仕事をしていない。 渡米前にはスパロボ系同人誌を発行する同人サークル「スタジオザルツウェルツ」にも参加している。 映画『ファイナルファンタジー』の仕事を終えて、日本への帰国後はスクウェア・エニックスの開発推進部に所属して2002年発売の『ファイナルファンタジーXI』、2003年発売の『半熟英雄対3D』、2005年発売の『半熟英雄4 7人の半熟英雄』、『武蔵伝II ブレイドマスター』など同社のゲームのオープニングアニメやキャラクターの3Dモーションを担当。中でも『半熟英雄対3D』のささきいさおの歌うテーマソングに合わせて往年の金田びかり、金田パース(後述)が炸裂するオープニングムービーは話題を呼んだ〔。 2009年7月21日、心筋梗塞により57歳で死去〔 独特の迫力で魅了する「金田パース」の開発者でアニメーターの金田伊功氏、心筋梗塞のため死去 GIGAZINE 2009年7月22日。〕。同年8月30日に有志によって行われた「金田伊功を送る会」には日本のアニメーション関係者が約800名、一般のファンが300名ほど参加した。野田卓雄、庵野秀明、りんたろうらによって弔辞が述べられ、亀垣一、平山智、本橋秀之、友永和秀が故人の思い出を語った。また同年12月には第13回文化庁メディア芸術祭特別功労賞を受賞、2014年には東京アニメアワードフェスティバル・アニメ功労部門に選出された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金田伊功」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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