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金田 留広(かねだ とめひろ、1946年11月17日 - )は、愛知県名古屋市北区出身の元プロ野球選手(投手)。 1974年にMVPを獲得。 同じく元プロ野球選手の金田正一、金田高義、金田星雄は実兄。 == 来歴 == 愛知高校を卒業後、愛知学院大学に進学。1年生の時点で7勝4敗の成績を残すが中退した。 その後、社会人・日通浦和を経て、1969年にドラフト4位で東映フライヤーズに入団し、兄・正一と同じ背番号34を着けた。入団1年目から直球とカーブを武器に18勝を挙げ、同年東京球場で開催されたオールスターゲームではパ・リーグの投手としてマウンドに上った留広がセ・リーグのメンバーとして打席に立った兄・正一と対戦するというオールスターならではの夢の対決が実現し、この勝負の結果は正一をセカンドフライに打ち取っている。 翌1970年には1勝差で最多勝を逃したものの24勝をマーク。1972年9月22日南海戦で満塁本塁打を放つ。2011年現在パリーグ投手の満塁本塁打はこれ以降出ていない。同年20勝をマークし最多勝のタイトルを獲得した。 1974年、野村収との交換トレードで、兄・正一が監督を務めていたロッテオリオンズに移籍。16勝を挙げ2度目の最多勝とパ・リーグMVPを獲得しチームの4年ぶりのリーグ優勝、24年ぶりの日本一に大きく貢献した。 その後は成績が伸び悩み、1979年、金田監督の辞任に伴い渡辺秀武と共に、望月卓也と平田英之と劔持節雄との2対3の交換トレードで広島東洋カープに移籍し甥の金石昭人もPL学園からドラフト外で広島に入団している(後に彼のコネで入団したと語っている)。古葉竹識監督の下で全盛期の力は既に衰え、敗戦処理や中継ぎでの登板が多かったが、ローテーションの谷間の先発を務め持ち前の明るい性格でチームに溶け込みムードメーカーとして活躍し、1979年・1980年のリーグ連覇・2年連続日本一に貢献した。1979年9月9日には久々に先発で投げ5回1失点に抑える好投をした上、ソロホームランを放って勝利投手になっている。 1980年6月12日巨人戦にて王貞治から通算850号本塁打を打たれている。 1982年限りで現役を引退。東映時代の1972年と「カネダ企画」所属時代の1986年の2度、テレビ朝日系「クイズタイムショック」に出演している。1987年・1988年には、ロッテ二軍の投手コーチを務めた。2001年には、プロ野球マスターズリーグの東京ドリームスにも所属していた。 現在は健康食品の会社を経営する傍ら、日本身体障害者野球連盟の支援をしており、チャリティーゴルフ会を行うなどをしている。 打撃が非常に上手く、通算13本塁打をマークするなどしている(正一は38本塁打)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金田留広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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