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金 美齢(きん びれい、、1934年(昭和9年)2月7日 - )は、台湾出身の日本国籍の評論家、政治運動家。学校法人柴永国際学園JET日本語学校理事長、元台湾総統府国策顧問。夫・周英明との間に1男1女。TBSテレビ営業局部長の周麻那は長女。 長年台湾独立運動に関わってきた。 == 経歴 == 日本統治時代の台湾の台北の裕福な家庭に生まれる。1953年(昭和28年)に台北市内の台北市立第一女子高級中学を卒業後は結婚、国際学舎(留学生会館)に勤務した。 1956年、22歳の時離婚。1959年(昭和34年)、25歳で早稲田大学第一文学部英文学科に留学。翌1963年(昭和38年)に同大修士課程に進学。1964年(昭和39年)、東京大学大学院博士課程在学中の周英明と再婚(学生結婚)し、1男1女をもうける。1971年(昭和46年)、早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 早稲田大学の大学院生時代から、聖心女子学院高校・東京女子大学・東京理科大学で非常勤講師を歴任。早稲田大学では、1996年(平成8年)3月まで20年以上、英語非常勤講師を務めた。1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)まで、ケンブリッジ大学客員研究員として渡英。 日本滞在中の1962年(昭和37年)、台湾独立運動を推進していた台湾青年社(後の台湾独立建国連盟)に参加。早大在学中には、台湾独立建国連盟が発行する機関紙の英語版編集長を務め、他の台湾人留学生らと大学同窓会「台湾稲門会」を結成。そのため、夫と共に反政府活動家として政府のブラックリスト(黒名単)に登録された。旅券は剥奪され、日本で事実上の亡命生活を送った。 1987年(昭和62年)7月15日、台湾で1949年(昭和24年)5月20日以来38年間続いた戒厳が解除。翌年、李登輝が台湾人初の中華民国総統に就任。台湾民主化の流れの中でブラックリストを解除され、31年ぶりに帰国した。翌1988年(昭和63年)、学校法人柴永国際学園(3月)、JET日本語学校(4月)を設立。 2000年(平成12年)に発足した民進党の陳水扁政権では、日本に亡命していた黄昭堂ら、ブラックリスト組の200余名らとともに、中華民国総統府国策顧問の一員となった。 2005年(平成17年)2月28日に総統府国策顧問を辞任、同年5月20日に復帰したが、2006年(平成18年)6月2日に総統府が機構改革のため国策顧問ポストを置かないことになり再辞任。 2009年(平成21年)9月、日本へ帰化。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金美齢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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