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金村 義明(かねむら よしあき、1963年8月27日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球解説者、タレント。 元在日コリアン3世で、旧名は金 義明(キム・ウィミョン、)だった。現在は帰化して日本国籍を持っている。 == 来歴・人物 == ===プロ入り前=== *中学・高校時代を通じて、報徳学園に在学。高校3年生だったには、4番打者兼エースとして、甲子園の全国大会へ春夏連続出場を果たした。春の選抜大会では、大府高との1回戦で、槙原寛己との投げ合いに敗れた。しかし、夏の選手権大会では、チームを優勝に導いている。また、両大会では打者として、通算打率は.577、本塁打3本を記録している。 *高校3年夏の全国大会では、「1回戦突破」という目標を盛岡工業高校戦で達成すると、前年優勝の横浜高校と対戦した3回戦で2打席連続本塁打を放った。3回戦で荒木大輔を擁する早稲田実業高校、準々決勝で藤本修二のいた今治西高校に勝利すると、名古屋電気高校との準決勝で、工藤公康から二塁打を含む3安打を記録。さらに、投手として、初戦から決勝戦までの全6試合で完投勝利を収めた〔『金村義明 プロ野球人情派』vol.05「1981年8月21日 全試合をひとりで投げ抜き、悲願の全国制覇達成」 (『Web Sportiva』2010年8月16日付記事)〕。夏の全国大会の優勝投手で、4番打者を務めながら全試合を1人で完投した選手は過去に8名いるが、この大会での金村を最後に現れていない。また、この大会で記録した通算打率.545(22打数12安打2本塁打)は、夏の全国大会優勝投手としてはの嶋清一(.550)に次ぐ歴代2位(春の全国大会を含めると3位)に当たる(いずれも2015年大会終了時点)〔【甲子園V腕座談会】(2)池田もPLも練習しなかった (『スポーツ報知』2015年8月9日付記事)〕。このように投打とも大いに活躍したことから、現役を引退してからも、高校野球関連の番組・企画にたびたび登場している〔亀梨和也 NHK甲子園特番ナビゲーターに「感動体感したい」 (『スポーツニッポン』2015年7月21日付記事)〕。ただし、完投勝利を収めるたびにマウンド上で飛び上がりながらガッツポーズを披露したため、高野連の関係者から注意を受けたという〔【甲子園V腕座談会】(4)3年生・水野VS1年生・桑田 (『スポーツ報知』2015年8月9日付記事)〕。 * 1981年のドラフト会議で、近鉄バファローズと阪急ブレーブスから1位で重複指名。抽選の末に、近鉄が交渉権を獲得した。なお、阪急は再指名を経て、山沖之彦を獲得している。 * 金村自身は、ドラフト会議の時点で阪急への入団を志望していた。阪急電鉄の沿線で生まれ育ったことや、少年時代から当時の主力打者・長池徳士(限りで現役を引退)の大ファンだったことによる〔【甲子園V腕座談会】(1)池田もPLも練習しなかった (『スポーツ報知』2015年8月9日付記事)〕。『在日魂』(現役引退後に著した自叙伝)によれば、ドラフト会議の前には、近鉄から挨拶を受けつつ水面下で阪急への入団交渉を進めていたという。しかし、重複指名の末に近鉄が独占交渉権を獲得したことを受けて、当時阪急の打撃コーチであった長池の自宅を泣きながら訪問。長池や当時の阪急スカウト・三輪田勝利から「近鉄で頑張れ」と言われたことから、近鉄への入団を決意した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金村義明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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