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金義泰(キム・ウィテ、、、1941年6月2日-)は韓国の柔道選手。日本名は山本義泰。兵庫県神戸市長田区出身〔「魂の相克 在日スポーツ英雄列伝」 大島裕史 講談社 ISBN 978-4-583-10318-1〕。階級は中量級。身長174cm〔Kim Ui-Tae Biography and Olympic Results 〕。 ==人物== 在日韓国人として生まれて、神港学園高校から天理大学に進み、主将を務めるなどして活躍した〔在日韓国籍柔道家の活躍と反骨の柔道王秋山成勲 フジテレビ〕、1961年の世界選手権(無差別)では韓国代表で出場して、準決勝で曽根康治に判定、3位決定戦で古賀武に払腰で敗れたが4位となった。また、1963年のプレオリンピック大会の中量級では決勝で中央大学の岡野功に敗れた〔。 その後、1964年には東京オリンピックの中量級代表に選ばれて韓国で練習していたが、コーチがいなかったので何もかも自分でこなさなければならなかった。さらには、韓国語が話せず、在日は裕福であると思われていたこともあって、周囲からやっかみを受けて孤立していたが、力が突出していたので面と向かって何か言われたことはなかった。また、大会までの半年間の生活費は貧しい家庭でありながら両親が捻出してくれたことに大いに感謝したという〔<在日社会>五輪と私・重圧はね返し闘った 〕。 東京オリンピックの中量級では準決勝で岡野と対戦して優勢負けするが、銅メダルを獲得した。1965年の世界選手権でも3位となった。引退後は天理大学の指導者となり、数多くの選手を育成した。また、1976年のモントリオールオリンピックでは韓国の柔道代表チームの監督を受け持った〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金義泰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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