|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 金 : [きん] 1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) ・ 聖 : [ひじり, せい] 1. (pref) saint 2. st. ・ 愛 : [あい] 【名詞】 love
金 聖愛(キム・ソンエ、、1928年 - )は朝鮮民主主義人民共和国の初代最高指導者金日成の二番目の妻である。 == 略歴 == 金聖愛は1928年に平安南道で農家の長女として生まれた。中学校を卒業した後、朝鮮戦争の直前に朝鮮人民軍に入隊。その時金日成執務室の書記として、仕事をした。軍の階級は特務大尉だった。この頃に金聖愛は金日成の子供を身ごもっていたと言われている。 この後、金聖愛は故郷に戻り、金日成は生活費を仕送りしていた。朝鮮戦争が終わると、彼女は平壌に戻り前妻の子である金正日・金敬姫とともに暮らした。彼女はこの二人に対して、実の親のように振舞ったと言われる。これは金日成の母が助言したためと言われている。 その後、彼女は金平一、金英一、金慶真、金清一の三男一女(更に子がいたともいう)を金日成との間にもうけた。1969年1月、朝鮮労働党中央女性同盟委員長に就任。1970年代に入り組織の拡大とともに自らの地盤を固めると金聖愛は自分の子供を金日成の後継者にする為に金正日と対立。また金日成の弟である金英柱とも後継問題で対立した。しかし朝鮮労働党中央女性同盟による数々の越権行為や不正が明らかになったことから、1973年、金聖愛は一切公式の場所に出ることを禁じられ、警告を受けるとともにジャモ山の別荘へ送られ失脚した。また追随した人間は農村や鉱山に追放された〔李友情著「金正日入門」より〕。 ところが1994年6月、突如公式の場に姿を見せ、海外メディアを驚かせる。同年3月に北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)を脱退し核査察拒否を表明した問題に際して、危機感を覚えたアメリカが政府特使として同年6月ジミー・カーター元大統領を派遣。カーターは金日成と会談したが、その場に金聖愛も同席したのである。カーターは北朝鮮側から金聖愛を「朝鮮労働党中央女性同盟委員長金聖愛同志」と紹介され、握手を交わしている。金聖愛は両者の会談前まで夫である金日成に秘書の如く付き従い、妻の立場で老齢の夫にあれこれ世話を焼くような様子を見せるなど、まさに夫婦として会話していたという。このため金聖愛は失脚後もある程度金日成と私生活を共にし、「朝鮮労働党中央女性同盟委員長」の肩書きの実態については全く不明ながら、「金日成の妻」の立場は維持していたものと見られる。カーターとの会談時、金日成は元気に振る舞っていたと言われ、一方公式の場にあっても妻の手助けが必要な状態にまで衰えているとの見方もあった。この金聖愛の突然の再登場劇は、金平一の動向もからみ後継問題に関してにわかに様々な憶測を生んだが、結局金聖愛の再登場以上のことは起こらず、権力構造にかかわる情勢変化が発生したことを示す動きはなかった。翌7月に金日成が死去すると金正日が権力を継承。金聖愛は葬儀委員の名簿に名を連ねたものの、再び姿を見せなくなり、金日成の葬儀にも参列しなかった。以後公式の場に全く現れておらず、その動静も一切伝えられていない。生死も不明となっている。 金平一ら子息の動向も判然としない点が多い。金平一は金正日や金正恩から疎まれ、海外に追われたものの、駐フィンランド大使・駐ポーランド大使を歴任し、2015年1月にはチェコ共和国大使に就任した。金平一の1歳違いの弟金英一は2000年に死去したと推測されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金聖愛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|