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金 英哲(もしくは金 英徹、キム・ヨンチョル / 김영철、1946年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家、軍人。2016年1月以降、朝鮮労働党中央委員会書記局書記(対南担当)、同党統一戦線部長を務めているとされる。確認されている最終軍歴は朝鮮人民軍偵察総局長兼軍副総参謀長、朝鮮労働党中央軍事委員会委員で、朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は上将であった。 == 略歴 == 両江道出身。万景台革命学院、金日成軍事総合大学を卒業。1962年より朝鮮人民軍15師団DMZ民警中隊で勤務し、人民軍少佐であった1968年にプエブロ号事件での軍事停戦委員会の連絡将校を務めた〔統一部北朝鮮資料センター主要人物情報 〕。1989年2月の人民武力部副局長就任以降、少将や中将の地位で対南(対韓国)業務を継続して担当し、南北将官級会談の北朝鮮側代表として活動した。 2009年に朝鮮民主主義人民共和国国防委員会政策室長となる。同年に上将に昇進し、党作戦部、党対外情報調査部、軍総参謀部偵察局が統合して発足した朝鮮人民軍偵察総局の初代総局長に就任する〔偵察総局内紛で金英徹降格 2012年11月19日〕。2010年3月の天安沈没事件を主導した「強硬派」とされ〔北朝鮮、軍強硬派は健在 映像に延坪島指揮幹部ら 毎日新聞 2012年2月18日〕、同年9月の第3回党代表者大会で党中央軍事委員会の委員に選出された。 2012年2月15日付で上将から大将に昇進したが〔スクープインサイド 三代目は単なるお人形さん狂乱の北朝鮮金正恩は操られている 現代ビジネス 2012年4月16日〕、同年秋に行われた大規模検閲で中将に降格される。これについては、偵察総局内での旧党作戦部と旧軍偵察局間の勢力争いが原因とされている〔。 降格から3ヵ月後の2013年2月に大将への復帰が確認され、2012年12月の事実上の弾道ミサイル発射実験や2013年2月の3度目の核実験で、外交的な対北朝鮮包囲網が強まる中、3月5日に金英哲が朝鮮中央テレビで「休戦協定の白紙化」を宣言し、4月には各国の特命全権大使を呼び出し北朝鮮からの退避勧告を伝えるなどし、強行外交を主導した〔北の偵察総局長、じきじきに各国大使へ退避勧告 読売新聞 2013年4月8日〕〔北朝鮮の圧迫攻勢は金英哲氏が主導=韩国政府消息筋 聨合ニュース 2013年4月25日〕。 2014年3月に行われた第13期最高人民会議代議員選挙で代議員に再選された。 韓国国家情報院によると、2015年4月に大将から上将に降格された〔北朝鮮で今年15人処刑か 韓国情報機関が分析 東京新聞 2015年4月29日〕。 2015年8月4日、非武装中立地帯 (DMZ)に仕掛けられた地雷の爆発で韓国軍兵士2人が重傷を負う事件があった。この地雷埋設を主導した人物として疑われている〔ブーメランを受けた北朝鮮軍幹部へ 2015年9月2日 中央日報〕。 2015年12月29日に死去した金養建の後を継いで対韓国政策を司る党中央委員会書記局書記(対南担当)、党統一戦線部長に就任したと見られている〔北朝鮮 金英哲偵察総局長が金養建氏の後任か 聨合ニュース 2016年1月20日〕。2016年2月11日、朝鮮中央通信がラオスへ訪問する朝鮮労働党代表団の団長として金英哲を党中央委員会書記の肩書きで紹介し、党書記を務めていることが確定した〔対南強硬派の金英哲氏が「党書記」としてラオスへ Daily NK 2016年2月12日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金英哲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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