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金鶏学院(きんけいがくいん)は、陽明学者の安岡正篤〔1932年、学院を母体に国維会を結成した。 堀幸雄 『最新 右翼辞典』 柏書房 2006年11月 P 122-123〕が1926年(大正15年)4月に開いた私塾である。正しくは「金雞学院」(「雞」は「鶏」の旧字体)。右翼団体、愛国団体に分類される。1931年、埼玉県比企郡菅谷村で日本農士学校を設立〔事業体。山林・田畑20町歩。校長は安岡が務め、農本教育に論語を加味した教導を行った。詳細:岩手大学教育学部研究年報第62巻(2003.2)87~105. 佐藤幸也 日本農士学校の農家経営教育 2002年9月30日〕。吉田茂 (内務官僚)〔は同学院の顧問であった。終戦後、GHQの指令により解散した。 == 概要 == 東京市小石川区原町(当時)の、酒井忠正伯爵邸内の金鶏園に創立した。「金鶏」の名は、源義家に関する言い伝えによる。東北遠征の途上、同地に野営した義家の夢枕に黄金の鶏が現れ、夜明けを告げた。義家はこれを吉兆として、勇んで北上したという。 酒井が院長、安岡が学監を務めた。後藤文夫〔、結城豊太郎、松本学〔、赤池濃らは幹事を担った。1927年(昭和2年)、「財団法人金鶏学院」となった。松下村塾・藤田東湖の塾の再現を期し、権藤成卿らが儒教や国体、制度学の講義を行った。目前の実行、日常生活の闘争を主旨とせず、精神教化の結果が日本改造の原動力となることを期して〔この方針は、近衛文麿ら政財界の重要人物から広い支持を得た。 事業は順調に進み、そのあまりの順調ぶりに実行団体からは貴族的だとの非難も発せられた。〕その指導者の育成に努めた。 聴講生は軍人〔中でも陸軍将校が特に多く、統制派として台頭した。〕、官僚〔「新官僚のイデオロギー的源泉となった」と木下半治は指摘している。 『日本国家主義運動史Ⅰ』 P 141〕、華族が中心であった。また、井上日召や四元義隆といった、のちの血盟団の構成員も含まれた。卒業生には宮澤内閣改造内閣で環境庁長官を務めた林大幹らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金鶏学院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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