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釜馬民主抗争(ぶまみんしゅこうそう)は、朴正煕・維新政権下の韓国(第四共和国時代)において最大野党であった新民党総裁の金泳三の議員職除名案が大韓民国国会で半ば強引に通過された事件(金泳三総裁議員職除名波動)を発端として、金総裁の地元である釜山直轄市(現釜山広域市)と隣接する馬山市(現昌原市)で学生・市民が反独裁・民主化を要求した大規模デモである。1979年10月16日から20日にかけて発生した。 ==デモの背景== 釜山と馬山でデモが発生した背景には、経済的、政治的な原因がある。 経済面では、韓国では1978年から付加価値税が導入され、一般市民の日常における納税負担が高まった。また、当時の釜山一帯は靴、食品、繊維産業といった軽工業が発達した地域だったが、第二次オイルショックの発生で原油価格が高騰したため、輸入原料の加工貿易に依存していた地域経済は大打撃を受けた。この二重苦によって釜山一帯は韓国内でも特に景気が悪化した地域となっており、1979年の不渡り発生率はソウル特別市の3倍に達していた〔(잊혀진 계절) 언제나 돌아오는 계절은 꿈을 주지만…2015년 10월은 나를 울려요 .京郷新聞2015年10月30日付記事〕。そのため、当時の釜山一帯は広範囲な階層から政府に対する不満が集まりやすい環境にあった。 経済と共に、政治面でも状況が悪化した。1979年の韓国の政局は、8月のYH事件〔新民党本部に籠城していたYH貿易の女子工員500名余りを警察が強制排除した事件。強制排除の際、女子工員1名が死亡し、双方に数十名の重軽傷者を出した。〕、及び9月の金泳三総裁職資格停止事件〔新民党地区党委員長3名が同年5月30日に行われた新民党総裁選挙の際、党員資格がない者が投票を行ったとして選挙結果の無効を主張して1979年8月13日にソウル地方裁判所へ提出した職務停止仮処分申請に対し、裁判所が9月8日に金泳三総裁と副総裁4名の職務を停止する決定を下した事件である。この決定に対し新民党は野党抹殺を図る政府による謀略であると批判し、共和党との対決姿勢を強めた。〕をきっかけに緊迫の度合いが強まっていた。こうした最中の9月10日、釜山を地盤とする金泳三新民党総裁は朴政権を不法・無法政権であると糾弾し、政権打倒のための国民的闘争を行うことを宣言した。また9月16日のニューヨークタイムズとの会見で朴政権の退陣のためにアメリカ政府の圧力を期待すると言明した。これに反発した政府与党は、10月4日に国会で金総裁の除名動議案を与党(民主共和党と維新政友会)単独で強行可決した。金総裁の議員職が失われたことに対し新民党は態度を硬化させ、党所属議員66名全員の登院拒否と議員辞職することを決定して国会に辞表を提出(13日)した。また、第二野党である民主統一党もこれに同調して議員3名全員の辞表を共に提出した。こうして政局は緊迫の度合いをより一層強めることとなった。 釜馬抗争はこうした背景の下で発生した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「釜馬民主抗争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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