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埠頭線(ふとうせん)は、北海道釧路市の新富士駅から同市の北埠頭駅までを結んでいた釧路開発埠頭の鉄道路線(貨物線)である。 == 概要 == 1940年(昭和15年)より始められた釧路港新埠頭の埋立工事は釧路埠頭倉庫〔1938年4月設立、資本金100万円、本社は東京麹町区丸ノ内、社長の小村千太郎は三菱礦業常務、九州炭礦汽船代表取締役、雄別炭礦鉄道代表取締役、昭和炭礦取締役『日本全国諸会社役員録. 第47回(昭和14年)』上編89頁 、役員356頁 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕によりすすめられていた。釧路埠頭倉庫は道東各地から集荷する石炭やその他物資の新埠頭への輸送手段として専用鉄道を新富士駅より新埠頭まで建設することになった。戦時中でもあり資材確保に苦労し一部の橋脚は木製となり、軌条も雄別炭礦鉄道や廃止となった大沼電鉄より調達した。また建設工事中には空襲にあうなど鉄橋に被害をうけ、開通したのは戦後の1946年(昭和21年)になってからであった。もっとも埠頭の諸施設はまだ整備されておらず、主目的の石炭輸送は1949年(昭和24年)3月からおこなわれるようになった。1951年(昭和26年)になると釧路埠頭倉庫は鉄道部門を雄別炭礦鉄道に譲渡することになった。雄別炭礦鉄道は車両、施設、従業員を引継ぎ専用鉄道として運行したが、1952年(昭和27年)に地方鉄道に変更した。 その後、炭鉱の閉鎖に伴い1970年(昭和45年)に石炭輸送は廃止されたが、釧路港と日本国有鉄道を結び、飼料や石油輸送の重要路線であったため釧路開発埠頭に譲渡・継承された。 しかし、1977年(昭和52年)に西港線が開業すると、石油の輸送拠点である油槽所は西港へ移転、その他の貨物輸送も輸送量が減少し、1984年2月1日国鉄ダイヤ改正に合わせ、1984年(昭和59年)1月31日限りで廃止された。 路線は新富士駅で分岐した国鉄根室本線と並走、新釧路川を渡ったのち釧路操車場(現・釧路運輸車両所付近)より分岐していた中央埠頭および国鉄浜釧路駅までの支線である公共臨港線(1989年廃止・廃線跡は浜町臨港通)と並走、北埠頭駅へ至っていた。北埠頭駅の東隣に浜釧路駅があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「釧路開発埠頭埠頭線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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