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鈴木三郎助 : ミニ英和和英辞書
鈴木三郎助[すずき さぶろうすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すず]
 【名詞】 1. bell 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [み]
  1. (num) three 
: [すけ]
 (n) assistance

鈴木三郎助 : ウィキペディア日本語版
鈴木三郎助[すずき さぶろうすけ]
鈴木 三郎助(すずき さぶろうすけ、1868年1月21日慶応3年12月27日) - 1931年3月29日)は、日本実業家味の素の創設者。神奈川県出身。従五位勲四等。
==来歴・人物==

===生い立ち===
1868年1月21日相模国三浦郡堀内村(現在の神奈川県三浦郡葉山町)の商家、父・三郎助(初代)、母・なか、の長男として生まれる。幼名を泰助といい、妹・こう、弟・忠治がいる。初代三郎助はもともと忠七といい、公郷村(現・横須賀市)の豪商「滝の崎」に奉公に出て手腕を認められ、慶応2年(1866年)に妻帯・独立して「滝屋」を称していた。しかし明治18年(1885年)に腸チフスにより35歳で他界したため、泰助はわずか9歳で家督を継ぐことになった。
泰助は11歳で尋常小学校を出て高座郡羽島村(現・藤沢市)の耕余塾に預けられたが、明治13年(1880年)にこれをやめて浦賀町(現・横須賀市)の米穀商加藤小兵衛商店で住み込みの見習いとなり、明治17年(1884年)18歳で自家へ戻って2代目三郎助を襲名する。ついで明治20年(1887年)4月8日に、芦名村(現・横須賀市)の呉服商辻井家から次女テルを妻に迎える。三郎助の商売は当初は順調であったが、この頃には資金繰りに躓き、それを埋めるために米相場に手を染めていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鈴木三郎助」の詳細全文を読む




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