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鈴木 光明(すずき みつあき、1936年2月8日 - 2004年11月14日)は、神奈川県横浜市出身の漫画家〔日外アソシエーツ編集部編『漫画家・アニメ作家人名事典』日外アソシエーツ、1997年、p.225〕。 ==略歴== 6人兄弟の三男として出生。中学生の頃より漫画家を志す。中学卒業後に職を転々としながら漫画を描き続け、1952年に描き下ろしの貸本漫画単行本『江戸大変録』でデビュー〔鈴木光明『マンガの神様! 追想の手塚治虫先生』白泉社、1995年、pp.42-47〕。手塚治虫の推薦により1955年に『おもしろブック』の連載「くろがね力士」で雑誌デビュー〔鈴木光明『マンガの神様! 追想の手塚治虫先生』白泉社、1995年。カバーの著者紹介より。〕。 1956年、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、永島慎二らと同人グループ・かこう会を結成、会長になる〔。 1960年半ば以降は、『別冊マーガレット』、『花とゆめ』、『LaLa』などの投稿作品審査を担当するとともに、1976年から少女漫画教室を主宰。後進の指導にあたって、和田慎二、山田ミネコ、市川ジュン、くらもちふさこなどの漫画家を育てた〔。少女漫画教室は1991年に病気により閉校〔鈴木(1995)、p.231〕。 鈴木のアシスタント経験者には、永島慎二〔鈴木(1995)、p.75〕やアニメ演出家の大貫信夫〔鈴木(1995)、p.142〕など。漫画家の安彦良和は鈴木の影響を受けて、漫画を描き始めたという〔更級修一郎聞き手・構成「歴史の忘却と捏造に抗して 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』という挑戦 安彦良和」『ユリイカ』2007年9月号、p.113〕。 2004年11月14日に死去〔漫画家・鈴木光明先生、逝去 深緑の杜 くおんみどり&みどりかわあきら公式ウエブサイト 2004年11月28日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木光明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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