翻訳と辞書
Words near each other
・ 鈴木実佳
・ 鈴木宣之
・ 鈴木宣夫
・ 鈴木宣弘
・ 鈴木宣明
・ 鈴木宥仁
・ 鈴木家住宅 (羽後町)
・ 鈴木寅彦
・ 鈴木富久
・ 鈴木富士弥
鈴木富士彌
・ 鈴木富子
・ 鈴木寛
・ 鈴木寛 (ボブスレー)
・ 鈴木寛之
・ 鈴木寛史
・ 鈴木寛子
・ 鈴木寛樹
・ 鈴木實
・ 鈴木實 (海軍軍人)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

鈴木富士彌 : ミニ英和和英辞書
鈴木富士彌[すずき ふじや]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すず]
 【名詞】 1. bell 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 

鈴木富士彌 : ウィキペディア日本語版
鈴木富士彌[すずき ふじや]

鈴木 富士彌(すずき ふじや、1882年11月26日 - 1946年1月12日)は、大正昭和期の日本弁護士政治家。名前は鈴木 富士弥とも表記される〔鈴木富士弥とは - コトバンク 〕。
== 人物 ==
大分県出身。最初は三塚姓を名乗っていたが、後に鈴木家の養子となる。1906年東京帝国大学法科大学を卒業後、欧米視察や実業界を経て1915年に弁護士業を開業する。1917年第13回衆議院議員総選挙に東京府第5区(当時)から立候補して当選し、以後連続して6期務めた。憲政会立憲民政党に所属して加藤高明内閣第1次若槻内閣において内務参与官、浜口内閣においては内閣書記官長を務め、また民政党時代には政務調査会長(1929年)や党総務(1933年)も務めた。永井柳太郎中野正剛山道襄一とともに安達謙蔵直系の党人派4名の雄弁家「安達の四天王」の1人としても知られた〔粟屋憲太郎 著 『文庫版 昭和の歴史 第6巻 昭和の政党』 小学館1988年11月1日第1版第1刷発行、ISBN 4-09-401106-4、186頁。〕。衆議院議員引退後の1940年には鎌倉市長に就任している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鈴木富士彌」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.