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鈴木 政江(すずき まさえ、1957年1月21日 - )は、千葉県出身の女子サッカー選手・指導者。ポジションはゴールキーパー (GK)。日本における女子サッカーのパイオニアの1人である。 == 来歴 == 三菱重工業に入社し、1977年に三菱重工女子サッカー部でサッカーを始め、1979年には第1回全日本女子サッカー選手権大会に出場。その後、FCジンナン(後の日産FCレディース)でプレーした。 1983年には全日本(サッカー日本女子代表)に初選出。1984年のイタリア戦(西安)に途中出場して代表デビューを果たすと、1986年から1991年までは正GKを務め、第6・7・8回AFC女子アジア選手権、第11回アジア競技大会、国際女子サッカー大会(プレワールドカップ)、1991年世界選手権(第1回女子W杯)に出場した。 1989年には日産FCレディースが日本女子サッカーリーグ(JLSL→L・リーグ/現・なでしこリーグ)に加盟したが9試合の出場に留まり、翌1990年に地元で結成された日興證券ドリームレディースに移籍。1991年には第12回全日本女子サッカー選手権大会での、チームの初出場初優勝という快挙に貢献した。 その年にチームがJLSLに加入し同シーズン(第3回日本女子サッカーリーグ)の敢闘賞を獲得したが、これを機に一旦はピッチを去ることになった。 2000年からL・リーグに参戦するジェフユナイテッド市原レディース(現ジェフユナイテッド市原・千葉レディース)に監督として就任。当初は専任監督であったが、チーム事情から2002年のシーズン(第14回日本女子サッカーリーグ)中に11年ぶりに選手登録し、日本女子サッカー初の選手兼任監督に就任。2004年(2004 日本女子サッカーリーグ)6月13日の清水第八スポーツクラブ戦にて、L・リーグのピッチに復帰を果たし、リーグ最長ブランク記録および清水第八の杉山淳子の持つリーグ現役最年長出場記録を更新した。 2005年、監督を上村崇士に譲り、ジェフ千葉レディースのコーチ兼サテライト選手となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木政江」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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