翻訳と辞書
Words near each other
・ 鈴木末七
・ 鈴木末吉
・ 鈴木朱雀
・ 鈴木杏
・ 鈴木杏奈
・ 鈴木杏樹
・ 鈴木杏樹のいってらっしゃい
・ 鈴木杏里
・ 鈴木杜幾子
・ 鈴木来海
鈴木東民
・ 鈴木松冶
・ 鈴木松年
・ 鈴木松治
・ 鈴木松美
・ 鈴木松雄
・ 鈴木林蔵
・ 鈴木柾道
・ 鈴木栄一
・ 鈴木栄光堂


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

鈴木東民 : ミニ英和和英辞書
鈴木東民[すずき とうみん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すず]
 【名詞】 1. bell 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 

鈴木東民 : ウィキペディア日本語版
鈴木東民[すずき とうみん]
鈴木 東民(すずき とうみん、1895年(明治28年)6月25日 - 1979年(昭和54年)12月14日)は日本のジャーナリスト労働運動家政治家岩手県出身。
== 生涯 ==
東京帝国大学経済学部を卒業後、1923年(大正12年)に大阪朝日新聞に入社するが、日本電報通信社 (電通の前身) の海外留学生募集に応じて1926年(大正15年)に同社のベルリン特派員として渡独〔鎌田慧『反骨 鈴木東民の生涯』(1989年、講談社)115頁〕。帰国後、1935年(昭和10年)に読売新聞社へ移り、読売新聞の外報部長兼編集委員を務めた。反ナチスの論陣を張り、当時の駐日ドイツ大使オイゲン・オットから危険視されて休職。郷里の岩手県に帰郷した。
第二次世界大戦の終戦と同時に上京して、読売新聞社に復帰。社内改革を目指して正力松太郎社長など幹部の退陣を要求したが、反撃を受け解雇されたため従業員組合を結成。組合長として第1次読売争議を指導。この後、正力がA級戦犯容疑者に指名され、巣鴨拘置所に収監されたゆえ、鈴木の解雇は撤回された。
読売新聞編集局長に就任したが、1946年(昭和21年)6月にGHQの勧告により再び解雇。第2次読売争議を指導したが、敗北した。
その後、自由懇話会理事長や民主主義擁護同盟常任委員を務める。日本共産党に入党し、衆院選や参院選に出馬したが落選、その後離党し、労働者農民党に移籍。1955年(昭和30年)に釜石市長に当選。1967年(昭和42年)の落選まで3期務めた。落選直後に釜石市議選に出馬し、市議を1期務めた。市長在職中の1958年に、市内を流れる甲子川上に日本で唯一無二の橋上市場(→橋#特殊な橋)を建設した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鈴木東民」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.