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田中 直紀(たなか なおき、1940年(昭和15年)6月19日 - )は、日本の政治家。民進党所属の参議院議員(3期)。越後交通代表取締役社長。防衛大臣(第10代)、衆議院議員(3期)などを歴任。旧姓は鈴木。父は内務官僚、自由党衆議院議員だった鈴木直人。 == 来歴・人物 == 石川県金沢市生まれ。武蔵中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後は日本鋼管に入社。1969年に田中角栄の長女・田中眞紀子と結婚して田中家に婿入りし、姓を鈴木から田中に改める。恐妻家。 1983年、菅波茂の地盤を引き継ぎ、第37回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で父・鈴木直人と同じ旧福島3区から出馬し、初当選(当選同期に熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明など)。 1989年、宇野内閣の外務政務次官に就任し、第1次海部内閣でも留任。 1990年の第39回衆議院議員総選挙では得票順位4位で落選するも、1993年の第40回衆議院議員総選挙でトップ当選となり返り咲きを果たす。この年、義父・角栄が死去。1994年、妻・眞紀子が村山内閣の科学技術庁長官として当選1回ながら初入閣。 1996年の第41回衆議院議員総選挙で新進党の坂本剛二に敗れ落選。なお坂本には1990年の総選挙でも敗れている(坂本は90年当時は自民党所属であった)。 1998年、第18回参議院議員通常選挙に無所属で義父・角栄や妻・眞紀子の地盤である新潟県選挙区から出馬。眞紀子や白川勝彦の支援を受け、当選。当選後、自民党から追加公認を受ける。 1999年から党の「青少年を取り巻く有害な環境対策の推進に関する小委員会」において小委員長を務め、青少年有害社会環境対策基本法案を起草。2002年の第154通常国会への同法案提出を目指したが「表現の自由を侵害する」という世論の反対が強く、提出を断念した。 2001年、第2次森改造内閣の農林水産副大臣に就任。この年、妻・眞紀子が第1次小泉内閣で外務大臣に抜擢される。 妻・眞紀子が自民党を離党して以降は党の方針に逆らって眞紀子を応援したり、自身の選挙で眞紀子の応援を受けたりしたため党内での立場は微妙となった。2004年の第20回参議院議員通常選挙では再選されたものの、この時党新潟県連に独自候補として塚田一郎を擁立され約5万票差まで詰め寄られた。翌2005年には郵政国会で郵政民営化法案に反対したためさらに苦しい立場に追い込まれ、「適齢期」と言われながら自民党在籍中の入閣は叶わなかった。 自民党内の派閥では田中派→二階堂グループを経て宏池会に所属していた。 2004年6月、フジテレビが、新潟県長岡市にある田中の選挙事務所前の民家を借り、事務所の様子を密かに撮影していたことが発覚し、田中と後援会が選挙妨害と盗撮だとしてフジテレビに損害賠償と謝罪をもとめて新潟地方裁判所に訴状を提出した。2007年2月7日、新潟地裁で判決が下り、「撮影の目的自体は不当ではないが、正当な取材範囲を逸脱する違法なもの」としてフジテレビ側に36万円の賠償を命じた。 2008年9月26日、自民党に離党届を提出。その後、第45回衆議院議員総選挙を目前に控えた翌年の2009年8月15日に新潟県長岡市内で記者会見を開き、眞紀子とともに民主党への入党を表明した。記者会見の場で鳩山由紀夫民主党代表は「夫婦そろっての民主党入党を心から歓迎する」と述べた。 第22回参議院議員通常選挙では民主党公認で新潟県選挙区から出馬し、3選。2011年9月、民主党の総務委員長に就任。 2015年9月、第24回参議院議員通常選挙では民進党公認で比例区からの出馬を希望し〔参院選 . 民主・田中直紀氏、比例転出の意向 /新潟 〕、12月、正式決定する〔民主 田中直紀氏を公認 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中直紀」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Naoki Tanaka 」があります。 スポンサード リンク
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